中國人初のF1ドライバーが中國グランプリで初完走
2024年のFIA-F1世界選手権中國グランプリの決勝レースが21日に上海で行われ、史上初の中國人F1ドライバーである周冠宇選手は14位でフィニッシュ。中國人初の中國グランプリでの完走を成し遂げた。レース後、周選手が、サーキットやテレビ畫面の前のファンに感謝の言葉を伝えると、大歓聲が巻き起こった。それを見た周選手は感極まって顔を手で覆い、涙した。
フォーミュラ1(F1)は、五輪やワールドカップと並ぶ世界3大スポーツイベントの一つだ。そこで戦う中國人選手は現(xiàn)在、周選手一人しかいない。初の母國グランプリに參戦した周選手のヘルメットには、上海地下鉄の路線図や上海のランドマーク建築物などがデザインされていた。
レース前、周選手は、「生まれ故郷で參戦できることには深い意義がある。20年前にはF1ファンだった自分が、今ではドライバーとなった。F1ファンには、中國人ドライバーが國際レースで活躍する姿を見てもらいたい」と語っていた。
中國グランプリが初開催された2004年、まだ5歳だった周選手は初めてサーキットの観客席からレースを観戦した。その時(shí)は、地響きのような大きなエンジン音がまだ怖く、ドキドキしたものの、F1に夢(mèng)中になっていったという。
8歳から、レーシングカートを始めた周選手は、中國國內(nèi)の各レースで優(yōu)勝をほぼ総なめした。しかし、國際レースに出場(chǎng)するようになると、ベスト10に入ることすら難しいことを知るようになり、大きなショックを受けたという。
周選手は、「海外のレースで初めて優(yōu)勝した時(shí)、中國の國旗が掲げられることも、國歌が流れることもなかった。中國人ドライバーが表彰臺(tái)の一番高い所に立つとは誰も予想していなかったからだ」と振り返る。
その後、周選手は一度、また一度と快挙を成し遂げ、中國にもモータースポーツ界で活躍する選手がいることが少しずつ知られるようになり、マイナーなレースからモータースポーツの最高峰F1に參戦するまでに成長した。
周選手は、「僕のことを『Chinese Zhou』と呼ぶ人が多い。僕のことを知り、僕のフルネームを知る人も増えているが、『Chinese Zhou』がずっと僕の別名になっている。中國人ドライバーがF(xiàn)1に參戦することはとても容易なこととは言えないので、この別名で自分がどこから來たのか知ってもらうことができて、とてもうれしい」と話す。
レース中、フォーミュラカーのコックピット內(nèi)の溫度は70度にまで上がることもある。また、ブレーキを踏むためには、トレーニングジムで、100キロの負(fù)荷をかけて足を鍛えているのと同じほどの力が必要となる。平均時(shí)速200キロのスピードでカーブを曲がる際には、首に20キロの重りをかけているのと同じほどの遠(yuǎn)心力がかかる。このようにF1ドライバーになるためには、時(shí)間をかけて厳しいトレーニングを積まなければならない。F1ファンからプロのドライバーへと成長を遂げていった周選手は常にこうした厳しいトレーニングをストイックに続けてきたのだ。(編集KN)
「人民網(wǎng)日本語版」2024年4月24日
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