福建省寧徳市のフウセイの「復(fù)活」から読み解く習(xí)近平総書記の「大食物観」
福建省寧徳市域內(nèi)の官井洋海域は、フウセイの重要な內(nèi)灣性産卵場(chǎng)だ。1960年代から70年代にかけての亂獲により、フウセイの個(gè)體群は危機(jī)に瀕していた。1988年6月から1990年4月まで福建省寧徳地區(qū)黨委員會(huì)書記を務(wù)めていた當(dāng)時(shí)35歳の習(xí)近平氏は、綿密な調(diào)査を開始し、地域の山や海を?qū)g際に歩き、その現(xiàn)狀を把握した。
1988年6月から1990年4月まで福建省寧徳地區(qū)黨委員會(huì)書記を務(wù)めていた習(xí)近平氏(書籍「貧困脫卻」より)。
『福寧府志』によると、習(xí)氏は官井洋海域にフウセイが豊富に生息しており、フウセイ産業(yè)に大きな潛在力があることを知った。習(xí)氏は海洋産業(yè)分野に詳しい専門家を派遣して、フウセイの人工養(yǎng)殖について研究させた。1990年、研究者らは重要な技術(shù)を開発し、100萬尾規(guī)模のフウセイの稚魚育成に成功した。これにより、寧徳市におけるフウセイの完全人工養(yǎng)殖が始まった。
寧徳市官井洋海域で、フウセイの漁獲作業(yè)をする養(yǎng)殖業(yè)者(寫真提供?寧徳市蕉城區(qū)融媒體センター)。
現(xiàn)在、この福建省東部の特産魚は中國の庶民にとって美味しいおかずとなっている。中國人の食卓に並ぶフウセイのうち、8割が寧徳市産だ。
「大食物観」とは何か?習(xí)氏は『貧困脫卻』という本の中で次のように述べている?!肝簸鲜臣Zといえば、米、小麥、トウモロコシなどイネ科作物という狹い理解しかされていなかった?,F(xiàn)在では食糧といえば、すなわち食物であり、『大食物』という考え方が、舊來の穀物中心の考え方に取って代わった」。
習(xí)氏はかつて「私は福建省での在任中、山間部でも沿海部でも働いた。その時(shí)に、大食物観を提唱した。肉や卵、家禽、乳製品、魚、果物、キノコ、お茶などはすべてが食物だ」「だから私は『海上福州』と『海上福建』を打ち出したのだ」と語った。
福建省での在任期間中、習(xí)氏は茶葉、水産、花卉?苗木、竹、果物、家畜?家禽、野菜などの特色ある競(jìng)爭(zhēng)優(yōu)位産業(yè)の発展を自ら推進(jìn)し、福建省における大食物観の実踐に方向性と指針を示した。
2002年6月、福建省竜巖市武平県萬安郷五里村の農(nóng)業(yè)モデル園で、野菜のハウス栽培拠點(diǎn)を視察する習(xí)氏(書籍「福建省での習(xí)近平」<仮訳>より)
30年余りを経て、今や中國の経済?社會(huì)発展は多大な変化を遂げ、習(xí)近平総書記の「大食物観」に対する思考は一層深みを増した。2015年の中央農(nóng)村政策會(huì)議では「大農(nóng)業(yè)、大食物観念の確立」を打ち出し、中國共産黨第20回全國代表大會(huì)(第20回黨大會(huì))報(bào)告では「『大食物観』を確立し、施設(shè)型農(nóng)業(yè)を発展させ、多元化した食物供給システムを構(gòu)築する」ことを打ち出した。さらに2022年の中央農(nóng)村政策會(huì)議では「『大食物観』を確立し、多元化した食物供給システムを構(gòu)築し、食物源を複數(shù)のアプローチで開発する」ことを強(qiáng)調(diào)した。新たな道のりにおいて、農(nóng)業(yè)強(qiáng)國の建設(shè)の加速、「大食物観」の不斷の実踐と深化に伴い、庶民の食卓はより豊かで、健康的で、安全なものとなっている。(編集NA)
「人民網(wǎng)日本語版」2024年5月17日
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