日本人戦犯8人目?榊原秀夫の供述書公開 731部隊の細菌戦に協(xié)力(一)
國家公文書局のウェブサイトで10日、日本人戦犯?榊原秀夫の中國侵略犯罪の供述書が公開された。供述書公開は8人目となる。
榊原の1956年4月から5月の供述書によると、榊原は1908年に日本の岡山県で生まれた。1936年9月に偽満駐屯第1師団歩兵第57聯(lián)隊附軍醫(yī)に任じられ、1944年11月から1945年8月まで関東軍防疫給水部林口支部長を務(wù)めた。
榊原が自供した重要な罪行として、以下のものが挙げられる。
「林口支部の任務(wù)に従って私は在職間、細菌戦準備の為に第一課長細矢少佐に命じ細菌保存培養(yǎng)を?qū)g施せしめました」。當時の生産量は、「中蘇國境の東部地面に撒毒し、極めて大量に蘇同盟軍隊のみならず中蘇両國の平和人民をも毀滅せしめるに充分な量」だった。
「細菌戦準備の為の捕鼠」では、「私は部隊全員を動員して捕鼠に従事致しました」。「間所少尉を長とし約二五名の捕鼠班を常時設(shè)置」し、「捕鼠により第七三一部隊に送附致しました鼠の総數(shù)は一九四五年四月に一〇〇〇匹、五月一〇〇〇〇匹、六月八〇〇〇匹、七月七〇〇〇匹総計二六〇〇〇匹」にのぼった。
1945年3月上旬,「私は第七三一部隊の命により」「支部の保存培養(yǎng)中のチフス菌、A型パラチフス菌の試験管二本を第七三一部隊第一部毒力検定班」に提出した?!竵I菌種共に第七三一部隊第一部保存菌中の標準毒力」に適合しており、「細菌戦の準備の為の保存培養(yǎng)に適」していた?!妇畱跛摔蟿苛Δ未_実を期するために大體一?二本の試験管で屠殺し得ると計畫したものであります」。「私は此の効力実験によりて四名の中國愛國者を殺害したものであります」
1945年4月には、黒竜江省安達県で、「私は安達に於ける殺人実験に參加致しました」。「中國愛國者の方四名」が「安達演習場に二五米―三〇米の間隔に地に打ち込んだ丸太の棒に縛りつけられました」?!篙X爆撃機が演習場の上空に飛來し約一五〇米の高度より素焼製爆弾(陶器の一種)を投下し五〇米上空で炸裂しました」?!杆饯贤耆璺酪陇颏膜蔽?六〇〇米位の距離から此の慘行を見たものであります。此の爆弾は恐るべき炭疽菌を充填した爆弾で鼻咽腔より吸入せしめ當時絶対に生きることの見込のない肺炭疽に、或は破片により皮膚炭疽を起させる全く酷悪の罪行であり、私も此に參加したものであります」
1945年8月、「蘇聯(lián)軍開戦をラヂオに依り知り、直ちに自動車の出動準備を命じ、同時に一切の馬を除いた動物、即ち捕鼠した鼠、白鼠、モルモット、兎、蚤、及保存培養(yǎng)せる細菌を第七三一部隊に送附せしめました」。「部隊建物に藁を積み石油を準備し建物の焼卻準備を?qū)g施し、更に部隊専用の水源地の給水ポンプの破壊を命じ破壊せしめました」?!讣毦鷳闇蕚浃螢椁我磺肖卧^拠物件を煙滅破壊したものであります」(編集MA)
「人民網(wǎng)日本語版」2014年7月11日
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