國家公文書局は21日、「偉大な勝利―中國が降伏文書を受け取る」の第7部「日本侵略軍に対する最後の一戦――解放區(qū)軍民の対日全面反攻(上)」を公式サイトで公開した。
第7部の解説によると、ポツダム宣言発表後、日本政府はこれを「黙殺する」との聲明を発表。中國軍民は対日全面反攻を展開した。日本軍の占領(lǐng)した大部分の都市、交通要路、沿海地區(qū)はとうに解放區(qū)に包囲されていたことから、日本帝國主義を最終的に打ち負(fù)かすため、八路軍、新四軍、および華南の各抗日遊撃隊は、抗日の最前線にあるという有利な形勢を利用し、日本軍と傀儡軍に対する反攻の重任を各々擔(dān)い、華北、華中、華南地域の日本軍および傀儡軍の占領(lǐng)する都市と交通要路に対する大規(guī)模な進(jìn)攻を直ちに発動した。1945年8月9日、毛沢東は聲明「日本侵略軍に対する最後の一戦」を発表。「中國人民のあらゆる抗日部隊は全國規(guī)模の反攻を?qū)g行し、ソ連その他連合國と緊密かつ効果的に歩調(diào)を合わせて戦うべきだ。八路軍、新四軍、その他人民軍隊はあらゆる可能な條件下で、降伏を望まぬあらゆる侵略者およびその走狗に対する広範(fàn)な進(jìn)攻を?qū)g行すべきだ」と呼びかけた。8月10日、中共中央は「ソ連參戦後の都市および交通要路の進(jìn)攻占拠準(zhǔn)備に関する指示」を出し、日本軍および傀儡軍に対する広範(fàn)な進(jìn)攻を指示した。8月10日と11日、八路軍本部は対日全面反攻に関する命令を続けて発した。日本の降伏宣言後も、日本軍は直ちに作戦を停止せず、中國解放區(qū)軍民の反攻は続いた。8月11日~9月2日、解放區(qū)軍民は対日全面反攻において大きな勝利を収め、県以上の計150都市を解放し、頑強に抵抗する日本軍に最後の一撃を加えた。(編集NA)
「人民網(wǎng)日本語版」2014年8月26日
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