國(guó)家公文書(shū)局は20日、『中國(guó)侵略日本人戦犯供述書(shū)選』(十)日本人戦犯?中尾邦広を公式ウェブサイトで公開(kāi)した。
1954年7月、10月の供述によると、中尾邦広は1921年に生まれ、原籍日本山口県。1940年中國(guó)侵略戦爭(zhēng)に參加、1945年8月捕虜となった。
重要な罪行には以下のものがある。
1940年4月10日、湖北省黃岡県において「抗日軍人捕虜二名年齢二〇~二二才男子を虐殺することを命じた」。一名は炊事勤務(wù)兵に「刀で斬首殺害させました」、ほかの一名を複數(shù)の兵は「同時(shí)に銃剣で刺突し、穴の中に突き落し」「私は…死んでいない刺突された一名の抗日軍人を上から土を掛け円匙で叩き足で踏みつけ虐殺しました」。
1940年10月~11月、湖北省荊門(mén)県において「中國(guó)人民を?qū)嵉纳鋼挠?xùn)練の為」兵同士と共に「中國(guó)人民三名を射撃しました」「私は…軽機(jī)関銃、小銃で五~六名の中國(guó)人民に十五発を射撃し一名の中國(guó)人民を軽機(jī)関銃で射殺しました」。
1942年6月、湖北省江陵県において、仲間は「中國(guó)人民一名男子三〇才を逮捕し、帯剣で刺殺させ以後腿の肉を切取り、天婦羅にし、小隊(duì)全員約四〇名(私を含む)に喰はせました」。
1942年7月、湖北省當(dāng)陽(yáng)県において、部下は「付近通行中の中國(guó)婦人二名を逮捕し」「強(qiáng)姦を行いました。更に福岡は中國(guó)婦人の陰部に梨を入れ」「中國(guó)婦人は非常に苦しんでいました」。(編集LX)
「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2015年8月21日
このウェブサイトの著作権は人民日?qǐng)?bào)社にあります。
掲載された記事、寫(xiě)真の無(wú)斷転載を禁じます。
Tel:日本(03)3449-8257、080-5077-8156 北京 (010) 6536-8386