國家公文書局はは13日、公式サイトで『中國侵略日本人戦犯供述書選』(三)--日本人戦犯?三浦芳男の供述書を公開した。
三浦芳男の1954年8月16日の供述書によると、三浦は1920年千葉県生まれ。1940年に中國侵略戦爭に加わり、1945年8月に捕虜になった。重要な罪行には以下のものがある。
1941年8月、山東省泰安県で、新兵ガス教育小隊は「附近高地の畠の中に耕作して居る農(nóng)民男八名を捕へ高地の窪地に座らせ」「風(fēng)上より九五式中赤筒二本を點火発煙した」「地面に伏せて居る被害者を引き起し瓦斯を吸せました」。
1941年9月、山東省萊蕪県で「隠匿兵器掠奪の為」「集體農(nóng)民斬首二名」。
1942年4月、山東省新泰県で「部落の家屋內(nèi)に侵入し中國婦人二十七、八歳位を一名銃剣で威嚇し強(qiáng)姦しました」。
1942年6月、山東省章丘県で「部落の家屋內(nèi)に侵入し中國婦人二十七、八歳位一名を見付け寢臺に橫に倒し強(qiáng)姦をしました」?!鸽L匿兵器掠奪の為」「集體斬首平和農(nóng)民九名」。8月下旬までに、隠匿兵器掠奪の為、「七十四名の農(nóng)民を毆打の拷問にかけ」「此の中の十一名は自分が直接拷問虐殺しました」。
1943年2月、館陶県で「農(nóng)民男一名三十歳位を捕へ」「私は銃剣で刺殺しました」。
1944年10月上旬、泰安県で部下を指揮して「中國人男十三名(中略)を八路軍に通じて居ると云ふ理由で」銃殺した。10月中旬、仲間一人と共に中國人男一名を「八路軍に通じて居ると云ふ理由で」「銃殺」した。(編集NA)
「人民網(wǎng)日本語版」2015年8月14日
このウェブサイトの著作権は人民日報社にあります。
掲載された記事、寫真の無斷転載を禁じます。
Tel:日本(03)3449-8257、080-5077-8156 北京 (010) 6536-8386