國(guó)家公文書局は9日、『中國(guó)侵略日本人戦犯供述書選』(三十)日本人戦犯?塚本一登を公式ウェブサイトで公開した。
1954年10月の供述書によると、塚本は1919年に広島県で生れた。1939年に中國(guó)侵略戦爭(zhēng)に加わり、1945年8月に捕虜になった。重要な罪行には以下のものがある。
1942年7月、浙江省江山県でベッドの下に隠れていた20歳の中國(guó)婦女1名を見つけ、銃剣で脅して強(qiáng)姦した。
1943年12月25日、湖北省當(dāng)陽(yáng)県で大虐殺、放火、掠奪を集団で行った。乳児、高齢者、病人、妊婦を含む平和人民100名が焼き殺され、刺し殺され、射殺された。中國(guó)人民の家屋100棟を焼き払い、食糧、衣服も焼き払い、古代遺物の金鳳山の廟宇を破壊し、白陽(yáng)寺の廟宇を焼き払った。重砲2門で魏家崗の民家10棟を爆破し、平和農(nóng)民4名が爆死した。
1944年6月、當(dāng)陽(yáng)県で全身に榴弾の破片を受けて負(fù)傷した抗日軍人男子25歳を捕え、重傷の苦しみの中で拷問した後、大隊(duì)軍醫(yī)に渡した後、実験のため注射液(薬名不詳)を注射して慘殺した。
1945年3月、湖北省襄陽(yáng)県で、捕えた平和農(nóng)民4名の両手を縛り上げるよう命令し、部隊(duì)前方の地雷の敷設(shè)された道路を歩かせ、地雷を踏んで爆死した。(編集NA)
「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2015年9月15日
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