前言 10月にノーベル文學賞の受賞が決まった中國の作家?莫言(ばくげん)氏と親しい中國人バイリンガル作家、毛丹青?神戸國際大學教授(50)は最近、莫氏の日本における交流活動の構(gòu)想を練っている。莫氏のノーベル賞受賞は、まるで特急列車のように、莫氏や中國文學という夢を載せ走り出した。中國文學がこれから國際舞臺で活 躍するという希望を多くの人が抱いている。1987年に生活を変えようと決意して単身日本へ留學した毛教授もまた、異國の地で、言語や文化の壁を越え、莫氏の作品や中國文學を世界に向けて発信している。
莫言氏と大江健三郎氏の交流をプロデュース 私が日本の出版界や文壇(ぶんだん)とつながりがあるのは、98年に日本語による作家活動を始めた時に、私の作品を出版する出版社が私をこの世界に入れるようにしてくれたから。そして自然と日本を代表する作家と知り合うことができ、交流の機會ができた。私は交流を通して、作家同士の間には、決して抽象的なものではない、共通のインスピレーションがあるということを知った。その典型的な実例が、02年に莫氏が私と大江氏を彼の故郷に連れて行ってくれた時のことだ。
莫言とその作品 私が莫氏の作品の主な翻訳者である吉田富夫氏を莫氏に紹介して以降、毎回吉田先生が彼の作品を翻訳し終わってから、日本語版と中國語版を比較している。中でも「檀香刑(2003年。日本語名、白檀の刑)」は、中國語版も日本語版も、本がぼろぼろになるまで読み、印もたくさん付けてある?,F(xiàn)在、私の研究室に置いているのだが、學生がそれを見て驚いている。私が研究しているのは吉田氏の翻訳の技法。これは私の日本語創(chuàng)作にも大きな助けとなっている。私は都會で育ったため、莫氏が表現(xiàn)する田舎の感覚を想像することができない。私にとってそれはあこがれの世界。彼の奇想天外な発想に変わる作品は今のところなく、とても気に入っている。
日本を知るために力を盡くしてきた 一種の対抗意識のようなものがあって、日本人の作品はどれもくどいほどきめ細かいので、自分はもっときめ細かく書いてやろうという気になる。これは、一種の逆思考で、「日本人が決め細かいから、自分はおおざっぱに」というものでは決してない。これは多分、日本での生活と関係があると思う。
莫言氏と日本人文學者の懸け橋 最近、日本の多くの書店で莫氏の作品が受賞を祝う言葉と共に並んでいる。そして、その橫に幾人かの現(xiàn)代中國作家の作品も一緒に並んでおり、日本の読者は中國現(xiàn)代文學とはどんなものかを知ることができる。これはとてもいい現(xiàn)象だと思っている。ある大型書店の店長も「多くの人が買っていくのを喜んでおり、いい傾向だ」と言っていた。これからずこしずつ良い方向へ向かうのではないだろうか。