広州市越秀區(qū)下塘西路近くにある寶漢直街は、南には小北路、西には環(huán)市路がある名実共に広州市の中心に位置する場(chǎng)所だ。しかし多くの広州の隣人にとって、同地は身近であると同時(shí)にあまり知らない場(chǎng)所でもある。2002年頃から、多くのアフリカの商人が広州に來て貿(mào)易に従事するようになった。彼らから見て中國(guó)、特に広州のビジネス?貿(mào)易市場(chǎng)は東南アジアや香港に比べてより「利益が大きい」。そのため寶漢直街一帶は徐々にアフリカ人居住地區(qū)となり、それと同時(shí)に文化の違いによる行き違いや誤解から、地元住民は同街區(qū)の人や出來事を「敬遠(yuǎn)」するようになった。羊城晩報(bào)が伝えた。
李東さんは2年前、寶漢直街でアフリカ人を撮影しょうと思い立った。しかし寶漢直街でカメラを取り出して撮影するのは簡(jiǎn)単なことではない。特にアフリカ人を撮影するのは、一部のアフリカ人はビザの問題を抱えているため、見知らぬ他人への警戒心が高いためだ。このため李東さんは最初は公共のビジネスエリア周辺のみで撮影し、居住エリアには立ち入らなかった。アフリカ人との交流を深めるため、李東さんは昨年3月に寶漢直街へ引っ越し、アフリカ人の隣人となり、當(dāng)初は抵抗はあったものの、徐々に互いに受け入れあうようになった。
李東さんから見ると、アフリカ人の隣人たちは肌の色が違う他は、他の地域から広州に來て働く出稼ぎ労働者と何の違いもない。この地では彼らは同じように生活と夢(mèng)のために故郷を離れてさすらう異郷人なのだ。中國(guó)に來てまだ1年にもならないカメルーン人のビンセント(音訳)さんは李東さんのアフリカの友人の一人だが、故郷でスーパーを経営しており、姉たちが店舗を管理し、彼は広州で駅近くの卸売市場(chǎng)で日用品を購入して持ち帰るのが主な仕事だ。興味深いことに、ビンセントさんが李東さんに語ったところでは、近年ますます多くの中國(guó)人が彼の祖國(guó)へ行って店を開いているため、彼が広州で感じるプレッシャーはますます強(qiáng)まっているという。
アフリカ人が數(shù)多く住む広州の寶漢直街は、早くから形成され、また世界各地に分布するチャイナタウンと同じく、互いに過去と未來を映し出しているといえる。(編集YH)
「人民網(wǎng)日本語版」2014年4月10日
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