國家公文書局はは17日、公式サイトで『中國侵略日本人戦犯供述書選』(七)--日本人戦犯?山村幾馬の供述書を公開した。
第七回に記載した要點によると、山村幾馬1954年8月11日の供述によると、彼は1919年に生まれ、原籍日本山口県。1940年中國侵略戦爭に參加、1945年9月捕虜となった。
重要な犯罪行為は次の通り: 1943年2月、湖北省宜昌県において、解剖試験のために警戒を擔(dān)當(dāng)し、新谷衛(wèi)生兵長は中國人民農(nóng)民男子一名(三十五歳)に「しょうこう水を注射して殺害しました後、山川軍醫(yī)はめすを以って盲腸を切り出し、引き続き腸を斷ち切り、內(nèi)蔵を一つ一つ切り出して説明しました」。
1943年4月、湖北省宜都県において、中隊長は「聯(lián)隊本部より捕虜とした中國人民農(nóng)民風(fēng)の方男子三十五歳位一名を受け取り中隊に連行し」、「初年兵刺突訓(xùn)練のため中隊中庭の一本木に縛りつけさせた後、中隊長は大田直一に刺突させた後、初年兵に順番に銃剣を以って刺突させ刺殺しました」。
1943年12月、宜都県において、中國婦女五十歳位の方一名を「小銃を以って威嚇し強姦致しました」;宜都県新江口付近において、「平和人民婦人三0歳位の方一名を発見し、銃剣を以って威嚇し強姦致しました」;「中國平和人民婦人二0歳位の方一名がおられたので、山本義生に強姦させた後、私は輪姦致しました」;婦人三0歳位の方一名に「私は分隊員上田久一に命令し、銃剣を以って威嚇し、づぼんをぬがせて陰部に甘藷直徑五糎長さ一五糎位を半分位を押し込ませて四回さしたりぬいたりして暴行凌辱を加え、甘藷を押し込んだまま去りました」。
1944年8月、湖南省來陽県において、「山茶花林の中に避難されて居た中國人民婦人四名を発見し、強姦の意志を以って襲いかかり、婦女一七歳位を谷間の方向に追いかけ三0米も有る谷間にころがって落とし、殺害致しました。他の三名は逃げ出されたので二三歳位の方を捕へ拳銃を以って威嚇し強姦致しました」。來陽県城南において、中國婦女二三歳位の方一名に対して「拳銃を以って威嚇して強姦致しました」。また中國婦女二五歳位の方一名を発見し「拳銃を以って威嚇し、引張り出して強姦致しました」。ある部落に強姦の目的で侵入して、中國人民婦人二五歳位三0歳位二名の方を「おいかけて河川二0米位の中におい込み溺死させました」。
1942年7月から1945年4月まで、湖北省応山県、宜昌県、宜都県、當(dāng)陽県、漢口市、荊門県、湖南省湘潭県、長沙市において、「所謂慰安所に於て強姦したもの四三回二七名」。(編集LX)
「人民網(wǎng)日本語版」2015年8月19日
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