かつて民間の郵便銀行機(jī)関の役割を務(wù)めた「天一信局」の建物が、福建省■州(さんずいに章)臺(tái)商投資區(qū)角美鎮(zhèn)流伝村に殘っている。記録によると、清朝末期、フィリピンに住んでいた福建省出身の中國(guó)人?郭有品が「水客」(商品を攜行して持ち運(yùn)びし、売買する商人のこと)から身を起こして、現(xiàn)地に暮らす中國(guó)人が福建に手紙や封書を送るのを手伝うようになった。その後、誠(chéng)実なはたらきぶりから徐々に同胞たちの信頼を勝ち取った郭有品は、1880年に故郷の流伝村で「天一批郊」を設(shè)立し、2年後に名稱を「天一信局」に改め、中國(guó)で初めて東南アジアとの郵便事業(yè)、銀行事業(yè)、電報(bào)事業(yè)を取り扱う民間の郵便銀行機(jī)関となった。勢(shì)いよく発展した天一信局は、1921年には中國(guó)國(guó)內(nèi)に9つの支局、海外に24の支局を設(shè)けるまでになり、事業(yè)範(fàn)囲はラオスを除く東南アジア諸國(guó)をカバーし、その発展ぶりは近代の海上シルクロードにおける対外交流の歴史そのものといえる。
現(xiàn)在、天一信局の建物には郭家の末裔4家族が暮らしている。この時(shí)代の変化をくぐり抜け、西洋の息吹を伝える古い建物は、歳月に磨かれながら、郭家の人々を守るとともに、海を渡り南洋で活躍したたくさんの人々の感動(dòng)的なエピソードを今に伝えている。(撮影:宋為偉)(編集KS)
「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2017年5月10日
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