「農(nóng)村の醫(yī)師として動けなくなるまで働きたい」という願いを胸に抱いているのは農(nóng)村醫(yī)師である何世英さん(72)。何さんは毎朝7時になると村の衛(wèi)生室(診療所)のドアを開けると、聴診し、脈を取り、注射を打つといった自らの行動でその約束を守っている。新華網(wǎng)が伝えた。
甘粛省臨夏回族自治州積石山ボウナン族トンシャン族サラール族自治県の梅坡村で、何さんは農(nóng)村醫(yī)師として52年も働いている。1966年、當(dāng)時20歳だった何さんは地元で開設(shè)された「裸足の醫(yī)師研修クラス」に參加し、「半農(nóng)半醫(yī)」の農(nóng)村醫(yī)師になった。その時から、雨が降ろうが風(fēng)が吹こうが、村民から聲がかかれば、晝夜関係なく薬箱を抱えて往診に出かけている。何さんが農(nóng)村醫(yī)師になってからあっという間に50年以上の月日が過ぎ、若い女性だった何さんは村人から「何ばあちゃん」と呼ばれるようになったが、現(xiàn)在もこの過疎地の小さな山村で忙しく働いている。彼女は、村の衛(wèi)生室は何物にも代えがたい役割を果たしていると考えている。なぜなら、すべての農(nóng)村醫(yī)師は村民にとって最も身近な救急醫(yī)療機(jī)関であるからだ。(編集YF)
「人民網(wǎng)日本語版」2018年8月20日
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