4月14日、バイデン米大統(tǒng)領(lǐng)は今年9月11日までにアフガニスタンに駐留している殘りの米軍を引き上げ、この米國(guó)史上最も長(zhǎng)期にわたった戦爭(zhēng)を終わらせると発表した。20年間続いたアフガニスタン戦爭(zhēng)により、米軍は少なくとも2500人が戦死し、アフガニスタンでは一般市民3萬(wàn)人以上が戦亂の中で死亡し、負(fù)傷者は6萬(wàn)人を超え、約1100萬(wàn)人が難民になった。米軍は反テロを口実にアフガニスタンに出兵したが、ボロボロに混亂した局面を殘してひっそりと撤退する。イラク、シリアからアフガニスタンまで、米國(guó)は道義を旗印にして度重なる対外戦爭(zhēng)を発動(dòng)し、混亂の極みとさえ言えるこの世の悲劇を1つまた1つと作りだし、現(xiàn)地の人々に盡きることのない苦難をもたらした。(文/張夢(mèng)旭。人民網(wǎng)掲載)
ジミー?カーター元米大統(tǒng)領(lǐng)はかつて2019年4月に、米國(guó)は世界の歴史の中で最も好戦的な國(guó)だと指摘した。米國(guó)の建國(guó)からの242年間で、戦爭(zhēng)をしていない時(shí)期はわずか16年間だけだ。米國(guó)の外交政策は常に対外的な干渉に終始してきたと言っていいだろう。米國(guó)の建國(guó)初期の西漸運(yùn)動(dòng)(西部開(kāi)拓)の中で、白人の入植者はアメリカ先住民インディアンの集落で殘酷なジェノサイドを発動(dòng)し、彼らを荒涼とした辺境の保留地に追い立てた。19世紀(jì)の米國(guó)は「モンロー主義」を打ち出し、アメリカ州を公然と自國(guó)の勢(shì)力範(fàn)囲に組み込み、併合と拡張を大々的に行なった。冷戦期間には、いわゆる「共産主義の脅威」に対抗するため、米國(guó)は一方では朝鮮戦爭(zhēng)とベトナム戦爭(zhēng)に直接関與し、また一方ではアジア?アフリカ?中南米で代理戦爭(zhēng)を大々的に行なって、米國(guó)と敵対関係にある外國(guó)政府を攻撃した。冷戦が終結(jié)すると、米國(guó)の対外的干渉も新たなステージに進(jìn)んだ。ちょうど米國(guó)の國(guó)際関係學(xué)者のロバート?コヘイン氏がその著作「覇権後の國(guó)際政治経済學(xué)」で指摘したように、「911テロ事件(米同時(shí)多発テロ事件)以來(lái)、私たちは米國(guó)が未曾有の政治権力と軍事力を力の限り使用することを特徴とした新たな時(shí)期に突入した」のだ。
米國(guó)の戦爭(zhēng)における血の負(fù)債は書(shū)き盡くせないほど多い。米メディアの「ジ?インターセプト」は次のようなケースを記録している。2017年1月29日午前1時(shí)、米海軍特殊部隊(duì)ネイビーシールズは攻撃ヘリコプターの援護(hù)をうけつつ、イエメンのアル?バイダ省の辺鄙な場(chǎng)所にある村を奇襲した。低い山の斜面で、ネイビーシールズは激しい迎撃に遭い、それに続くパニック狀態(tài)の中で、攻撃ヘリは村全體を爆撃し、建物10數(shù)ヶ所を襲撃し、地元の人々が眠っていた石製の建物も破壊し盡くした。この軍事行動(dòng)により少なくとも女性6人と13歳以下の子ども10人が死亡し、山羊や綿羊、ロバ合わせて120頭あまりも犠牲になった。米國(guó)防総省が後に説明したところによると、この奇襲攻撃はアラビア半島のアルカイダ(AQAP)の指導(dǎo)者のカシム?アル?リミ氏を捕虜または殺害するために行なわれた作戦だったという。このケースは、米國(guó)が対テロ戦爭(zhēng)を開(kāi)始してからの20年間に、一般市民を「誤爆」したり「誤射」したりした無(wú)數(shù)のケースの縮図に過(guò)ぎない。米誌「ネイション」は、ここ數(shù)年の間に米軍特殊部隊(duì)が海外で受けた告発には虐殺、謀殺、捕虜虐待、子どもへの暴力、性的虐待、麻薬の密輸、政府資産の竊盜行為などが含まれていた。しかしこうした告発に対して責(zé)任を取ろうとする者はほとんどいない。