今年の12月13日で、南京大虐殺から84年。この日は、8回目の南京大虐殺犠牲者國家追悼日に當(dāng)たる。新華社が伝えた。
南京大虐殺関連の歴史研究に長(zhǎng)年攜わってきた在日華僑の林伯耀氏は11日、東京の在日本韓國YMCAアジア青少年センターで開催された「南京大虐殺から84年 2021年東京証言集會(huì)」で、南京大虐殺に參加した中國侵略日本軍第二碇泊場(chǎng)司令部の梶谷健郎軍曹が生前に描いた「煤炭港大虐殺」の地図を手に講演を行った。
同日の証言集會(huì)では梶谷軍曹の日記の他、中國侵略日本軍の中島今朝吾第16師団長(zhǎng)と佐々木到一第30旅団長(zhǎng)の私記も紹介された。佐々木は私記に「払暁前我第一線は敵陣地に突入し続て敵を急追し、軽裝甲車中隊(duì)午前十時(shí)頃先づ下関に突進(jìn)し、江岸に蝟集し或は江上を逃れる敗敵を掃射して無慮一萬五千発の弾丸を射ち盡くした」と記している。殘酷な言葉の1つ1つが、日本軍が南京で行った大虐殺の事実を裏付けている。
南京煤炭港大虐殺の生存者である陳徳貴氏と潘開明氏の証言ビデオも上映された。彼らの証言する、河辺に押し立てられた人の數(shù)、連行される民衆(zhòng)の列、日本軍による掃射の様子などは、梶谷日記の內(nèi)容と完全に一致し、佐々木の記録した?jī)?nèi)容とも呼応している。異なる立場(chǎng)からの同じ場(chǎng)面の描寫が、互いに裏付け合い、反論の余地のないものとなっている。
主催者である「ノーモア南京の會(huì)」の田中宏代表は、「『ノーモア南京の會(huì)』を設(shè)立したのは、日本人がノーモア?ヒロシマだけでなく、日本軍が起こした南京大虐殺も銘記するためだ」と語る。田中氏によると、同會(huì)は福岡、広島、長(zhǎng)崎、大阪、名古屋、東京など10ヶ所に支部があり、12月13日前後に日本各地で証言集會(huì)を開催している。新型コロナウイルスのパンデミックがなければ、南京から証人や遺族を日本に呼んで話を聞いたり、日本で上映するための記録資料を南京で撮影したりすることも考えていたという。
南京大虐殺は動(dòng)かぬ証拠があるにもかかわらず、日本の一部政治屋は今も歴史の真実を塗り替えようと腐心している。
証言集會(huì)では、東京都の公立高校を定年退職した元?dú)s史教師の甲野信夫氏が、指導(dǎo)方法や教材に「小細(xì)工」をし、日本の生徒達(dá)の真実の歴史に対する認(rèn)識(shí)を曖昧なものにする日本政府のやり方を批判した。例えば、南京大虐殺を「南京事件」と稱したり、中國侵略戦爭(zhēng)を責(zé)任が同等の「日中戦爭(zhēng)」と稱したり、南京大虐殺の犠牲者數(shù)を否定したり、「河野談話」を削除したり、不明瞭な表現(xiàn)を使用したりすることで、歴史の真実を曖昧にし続けている。甲野氏は「政府は毎回、細(xì)かい部分で歴史を修正してきたが、一つ一つの修正が積み重なると、長(zhǎng)い間の後には歴史の真実の原型が完全に失われてしまう」と述べた。
同日、日本人100名近くが証言集會(huì)に參加した。真実の歴史を語る一つ一つの証言を前に、出席者全員が非常に真剣に耳を傾けていた。司會(huì)者は「真実の歴史を直視して初めて、悲慘な歴史から真に抜け出し、未來にどこへ向かうべきかを真に考えることもできる」と語った。(編集NA)
「人民網(wǎng)日本語版」2021年12月13日