創(chuàng)価大學は日本で最初に新中國からの國費留學生を受け入れた大學となる。創(chuàng)価大學を卒業(yè)し、同大學國際部の副部長などを歴任し、現(xiàn)在は、同大學において中日文化交流史や中日文化比較の研究に従事している高橋強教授は、創(chuàng)価大學と中國友好交流の歴史を見つめ続け、現(xiàn)在も中日友好の後継者を育成し続けている。人民網が報じた。
新中國の國費留學生受け入れの先駆けとなった創(chuàng)価大學
中國に興味を持ったきっかけについて、高橋教授は、「小學校の時にテレビを見ていたら、シルクロードや敦煌を扱った番組をやっていた。法隆寺の『獅子狩文錦』のデザインがどのように中央アジアを通って唐の長安まで行き、日本まで伝わったかを説明する內容で、今でも強烈に覚えている。また大學2年生だった1974年に、創(chuàng)価大學の創(chuàng)立者の池田大作先生が初めて中國に訪問したのを聞いて、ますます中國に行きたいという気持ちが強くなった」と振り返る。
人民網の取材に応じる高橋強教授。
池田氏は1974年に中國を訪問した際、周恩來総理と會見。そして、帰國後、翌年から新中國の留學生を受け入れることを決めた。當時、中日両國の國交正?;殚gもなかったため、日本の多くの大學は、中國からの留學生を受け入れることに、まだ迷いがあった。では、創(chuàng)価大學はなぜ率先して受け入れることにしたのだろうか?そのことについて、高橋教授は、「池田先生は生前、そのエピソードについてしばしば語っていた。中國に訪問したのは真冬の12月で、周総理は手術が終わったばかりで、療養(yǎng)中だった。周総理は池田先生より36歳年上で、體調が完全に回復していない狀況下で、會見したため、池田先生は深く感動した」と振り返ったほか、「周総理はかつて留學しようと日本に來たものの、色々なことが重なり、日本留學は実現(xiàn)しなかった。池田先生はそれを知り、周総理の代わりとして6人の國費留學生に、日本留學を実現(xiàn)してもらいたいと思い、保証人になった」としている。それら留學生はその後、中日関係発展を促進するうえで中心的な役割を擔うようになった。程永華元駐日大使もその一人だ。
日本でも広く支持されている中國の外交方針「以民促官」
高橋教授は、「創(chuàng)価大學の大學院時代に、香港中文大學に派遣留學し、その時から、中國の言語や社會、文化、歴史などにますますのめり込むようになった」という。卒業(yè)後、創(chuàng)価大學アジア研究所の助手として香港研究をするようになった。その後、中國からの留學生が増えてきたため、1979年、創(chuàng)価大學は初めて、北京大學と學術相互交換協(xié)定を締結した。その後、中國の多くの大學が次々と協(xié)定を締結するようになり、さらに多くの教師が創(chuàng)価大學に留學するようになった。1980年代に入って、中國の大學との教育や文化における交流が増え、高橋教授は創(chuàng)価大學國際部の副部長を兼任し、同大學に留學する中國人にサポートを提供するようになった。
高橋教授は、「創(chuàng)価大學で造詣を深めた一部の教師は帰國後、所屬する大學で相次いで池田大作研究センターや研究會を立ち上げた。周総理の母校である南開大學も周恩來池田大作研究會を立ち上げたことは、強く印象に殘っている。國際部の副部長として、研究會を立ち上げるための資料を収集し、提供した。その過程で、池田先生が、なぜ日中國交正常化を働きかけたのか、また周総理の外交方針に対する理解を一層深めた」と振り返る。
高橋強教授が執(zhí)筆した本。
そして、中日國交正?;浃饯吾幛沃腥沼押瞄v係の発展を振り返り、「周総理の外交思想というと、『以民促官』という『民をもって官を促す』という政策がすぐ浮かび、それは日本の人々からも支持されていると思う」と語った。
その理由については、「昨年の國交正?;?0周年に際し、日本と中國で『周恩來と日中友好』寫真展が開かれた。創(chuàng)価大學は後援団體として參加した。日本で開催された時に、創(chuàng)価大學でアンケートを実施したところ、『將來の日中友好について』という項目があり、それを分析すると、一番多かったキーワードが『民間友好』で、二番目に多かったのが『周恩來総理』だった」と説明?!浮阂悦翊俟佟护趣いγ耖g外交の基本方針が、過去や現(xiàn)在、そして未來に至るまで常に高く評価されるだろうことを反映している」との見方を示した。
時代を先取りして中日青年が友情を築ける取り組みを
教育者として高橋教授は「同じ人間だという共感をたくさん持ってもらうこと、相互に信頼と友情を築いてもらうことを心掛け、そこにウェイトを置きながら授業(yè)を進めている。日中関係は良い時も悪い時もある。時代を先取りするような取り組みをして、両國関係の前進と発展を促進するのが教育者の使命」との見方を示す。
そして、「日中両國には、相手國に興味を持ち、相手國の言語を一生懸命勉強する學生と青年がたくさんおり、彼らを大切にしなければならない。例えば、両國は毎年、數(shù)千人の青年が相手國を訪問?交流するよう企畫している。彼らが友情を築き、見聞きしたことを通して、周りの人々にも積極的に交流するよう働きかけている。こうしたことを通して、日中両國の民間の雰囲気は必ず改善するだろう」と指摘する。
また中日両國は変わることのない隣國で、數(shù)千年の歴史を振り返ると、両國は長期にわたり良い関係を築き、文化の成果を共有してきた。高橋教授は、贈る言葉として、「為人點火明在我前」(人のために燈りをともせば 我が前あきらかなり)を選び、その言葉が描寫しているように行動し、「中日両國関係が『ウィンウィン』の関係になることを願っている」と強調した。(編集KN)
「人民網日本語版」2023年12月20日
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