創(chuàng)価學(xué)會(huì)の原田稔會(huì)長(zhǎng)「訪中するたびに新たな驚きを感じる」
今年は「中國(guó)人民の古くからの友人」である日本の創(chuàng)価學(xué)會(huì)の故?池田大作名譽(yù)會(huì)長(zhǎng)が初めて訪中し、周恩來(lái)総理と會(huì)見(jiàn)してから50周年にあたる。5月26日から6月2日にかけて、中國(guó)人民対外友好協(xié)會(huì)と中日友好協(xié)會(huì)の招待を受けて、創(chuàng)価學(xué)會(huì)の原田稔會(huì)長(zhǎng)が100名の日本青年代表団を率いて訪中した。青年代表団は北京、天津、烏魯木斉(ウルムチ)、吐魯番(トルファン)、深センなどを訪れ、中日友好に「青春のエネルギー」が注ぎ込まれた。原田氏はこのほど人民網(wǎng)の単獨(dú)インタビューを受け、今回の訪中の感想を語(yǔ)った。
人民網(wǎng)のインタビューを受ける創(chuàng)価學(xué)會(huì)の原田稔會(huì)長(zhǎng)(撮影?張麗婭)
■中國(guó)の初印象:「この國(guó)は將來(lái)すごい國(guó)になる!」
1974年、池田氏が初めて中國(guó)を訪問(wèn)した際、原田氏は秘書(shū)長(zhǎng)として同行した。中國(guó)の初印象について、原田氏は「北京の朝のシャーという聞きなれない音」と述べた。原田氏が聞きなれないと感じた音とは、朝のラッシュアワーに自転車(chē)で通勤する人々の車(chē)輪の音だった。その活気あふれる姿が、原田氏に深い印象を殘した。當(dāng)時(shí)、北京の街を歩いていた池田氏は「將來(lái)の中國(guó)は必ずすごい國(guó)になる。中國(guó)の國(guó)力が日本を超える日はあっという間に來(lái)る。両國(guó)は世々代々友好を堅(jiān)持する必要がある。特に青年たちはこのことを自覚して取り組んでいきなさい」と話した。
原田氏は50年後、社會(huì)と経済が急速に発展し、活力に満ちた現(xiàn)在の中國(guó)を目の當(dāng)たりにした。池田氏の判斷が実証されただけでなく、原田氏は訪中するたびに新たな驚きを感じているという。
■反戦の精神を堅(jiān)持し、平和と友好を推進(jìn)する
創(chuàng)価學(xué)會(huì)は平和と反戦の精神を堅(jiān)持し、中日両國(guó)民の理解の増進(jìn)に長(zhǎng)年努力してきた。青年代表団の中國(guó)到著後の最初の訪問(wèn)先は、中國(guó)人民抗日戦爭(zhēng)紀(jì)念館だった。
中國(guó)人民抗日戦爭(zhēng)紀(jì)念館を訪れた創(chuàng)価學(xué)會(huì)の原田稔會(huì)長(zhǎng)(中央)と青年代表団のメンバー(撮影?陳思)
原田氏によると、第二次世界大戦中、創(chuàng)価學(xué)會(huì)の初代會(huì)長(zhǎng)と第2代會(huì)長(zhǎng)は戦爭(zhēng)に斷固反対したために逮捕?投獄された。第3代會(huì)長(zhǎng)の池田氏は、2人の先代の精神を受け継ぎ、平和を唱え、中日友好事業(yè)を推進(jìn)し続けた?!袱长欷铣靥飼?huì)長(zhǎng)の念願(yuàn)だった。池田會(huì)長(zhǎng)は若い頃、當(dāng)時(shí)戦地だった中國(guó)に行っていた會(huì)長(zhǎng)の長(zhǎng)兄が一時(shí)帰國(guó)した時(shí)に、日本軍は中國(guó)で大変ひどい事をしていると話すのを聞いたことがあり、この経験が池田會(huì)長(zhǎng)にとって生涯にわたり平和を追求する原動(dòng)力ともなった」。 原田氏は、「創(chuàng)価學(xué)會(huì)は今後も平和友好事業(yè)を継承し、発展させ、無(wú)數(shù)の先人たちが堅(jiān)守してきた『不戦の魂』を継承していく」と語(yǔ)った。
1968年、池田氏は中日友好が世界平和にとって極めて重要であると考え、創(chuàng)価學(xué)會(huì)の活動(dòng)で初めて両國(guó)の國(guó)交正?;蛱嵫预筏?。原田氏は「この提言は中日國(guó)交回復(fù)を重視する人々から『暗闇に光明をもたらすものだ』とされたと同時(shí)に、周恩來(lái)総理に注目された」と語(yǔ)った。その4年後、「中日平和友好條約」が北京で調(diào)印された。
■中日関係の未來(lái)は青年にあり
創(chuàng)価學(xué)會(huì)は常に中日友好の最前線に立ち、両國(guó)間の文化交流、教育交流、青年交流を推進(jìn)し、両國(guó)民の友好を深めるために重要な貢獻(xiàn)を果たしてきた。今回の訪問(wèn)で、青年代表団は周恩來(lái)?鄧穎超紀(jì)念館、南開(kāi)中學(xué)(中高一貫校)、南開(kāi)大學(xué)を訪れ、周恩來(lái)総理と鄧穎超氏(全國(guó)政協(xié)主席、周恩來(lái)総理夫人)の生涯の事績(jī)を深く知るとともに、現(xiàn)地の教員や生徒?學(xué)生と懇談し、交流した。紀(jì)念館內(nèi)の桜の林では「友好を継続し未來(lái)に向かう—日本創(chuàng)価學(xué)會(huì)代表団天津訪問(wèn)記念」プレートの除幕式を行い、雙方が桜の木に水をやり、中日友好の促進(jìn)における創(chuàng)価學(xué)會(huì)の積極的な貢獻(xiàn)を記念した。
周恩來(lái)?鄧穎超紀(jì)念館を見(jiàn)學(xué)する創(chuàng)価學(xué)會(huì)の原田稔會(huì)長(zhǎng)と青年代表団のメンバー(撮影?常樸)
原田氏は中國(guó)をこれまでに8回訪問(wèn)しているが、天津訪問(wèn)は今回が初めだった?!附窕丐卧L問(wèn)を通じて、周恩來(lái)総理がどのように學(xué)び、どのように世界を展望していたかを目のあたりにして、大変深い感動(dòng)を受けた」と語(yǔ)った。
「友好を継続し未來(lái)に向かう—日本創(chuàng)価學(xué)會(huì)代表団天津訪問(wèn)記念」プレートの除幕式を行う中日雙方の関係者(撮影?常樸)
若い世代は、中日友好事業(yè)を継承し発展させるという栄えある使命を擔(dān)っている。代表団のメンバーは、訪れる都市ごとに中國(guó)の青年と交流した。原田氏は「『百聞は一見(jiàn)に如かず』。彼らがまっさらな心、純粋な目で率直に中國(guó)の現(xiàn)狀を?qū)Wび、観察することが大事。『実のごとく知りかつ見(jiàn)る、如実知見(jiàn)』というように、中國(guó)の多大な発展と変化を?qū)g感して視野を広げ、理解を深め、日中友好事業(yè)のためにたゆまず努力し、池田先生が提唱した日中の間に架けられた『平和へと通じる金の橋』をさらに光り輝かせていく」と語(yǔ)った。(編集NA)
「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2024年6月27日
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