西松信濃川平和基金が中國(guó)人労働者記念碑建設(shè)か
日本の西松建設(shè)が第2次世界大戦の時(shí)期に日本の信濃川に強(qiáng)制連行されて働かされた中國(guó)人労働者183人への謝罪と賠償のために設(shè)立された専門の基金である西松信濃川平和基金の第5回業(yè)務(wù)會(huì)議が21日、北京で行われた。同會(huì)議によると、信濃川の現(xiàn)場(chǎng)に被害にあった中國(guó)人労働者183人の記念碑を設(shè)立し、日本軍の中國(guó)侵略戦爭(zhēng)期間に強(qiáng)制連行された中國(guó)人労働者の問(wèn)題の全面的な解決を目指すという。中國(guó)新聞網(wǎng)が伝えた。
同基金を管理する中國(guó)人権発展基金會(huì)は強(qiáng)制労働専門の調(diào)査グループを設(shè)立し、河北省や山東省、山西省、四川省、重慶市、湖北省、江蘇省など7つの省?市、43県200郷鎮(zhèn)に散在する労働者と遺族の狀況を3年以上にわたって調(diào)査した。複數(shù)回にわたる調(diào)査と確認(rèn)を経て、信濃川での強(qiáng)制労働の被害を受けた中國(guó)人労働者183人のうち、補(bǔ)償金を受理済みの人は92人、所在が確認(rèn)されて手続き中の人は14人、所在確認(rèn)の総數(shù)は65%に達(dá)し、補(bǔ)償金430萬(wàn)元近くが既に支払われたことがあきらかになった。
中國(guó)人権発展基金會(huì)の副理事長(zhǎng)兼事務(wù)局長(zhǎng)、西松信濃川平和基金管理委員會(huì)主任の慈愛民氏によると、西松信濃川平和基金の設(shè)立とその賠償業(yè)務(wù)は順調(diào)に進(jìn)展し、中國(guó)人労働者を利用した他の日本企業(yè)が類似の問(wèn)題を解決する上での成功したケースとなっており、第2次世界大戦期間中に被害を受けた労働者などの歴史的に殘された問(wèn)題の適切な解決にも有益な參考例となっている。慈氏は信濃川の記念碑を速やかに設(shè)立し「被害にあった中國(guó)人労働者全體の魂を慰めたい」としている。
西松信濃川平和基金管理委員會(huì)の日本人委員で、中國(guó)人の戦爭(zhēng)被害の賠償要求事件の弁護(hù)士団団長(zhǎng)である小野寺利孝氏、中國(guó)人強(qiáng)制労働事件の日本弁護(hù)士団団長(zhǎng)である高橋融氏は特に訪中して參加し、信濃川の中國(guó)人労働者183人の記念碑を設(shè)立し、祭祀を通じて彼らを追悼することで、日本に強(qiáng)制連行された中國(guó)人労働者4萬(wàn)人の事件を根本的に解決し、またこれをふまえて日本國(guó)民に正確な歴史を教育して、日中両國(guó)の平和と友好を深めたいと語(yǔ)る。
2010年4月に日本の信濃川に強(qiáng)制連行された中國(guó)人労働者と日本の西松建設(shè)は東京簡(jiǎn)易裁判所で和解に達(dá)し、西松建設(shè)は日本軍の中國(guó)侵略戦爭(zhēng)期間中に中國(guó)人労働者を信濃川の建設(shè)工事現(xiàn)場(chǎng)に強(qiáng)制連行した事実を認(rèn)め、深い反省と謝罪を表明し、また被害者183人に対して1億2800萬(wàn)円の賠償金を支払うこととなった。同年5月に西松信濃川平和基金が中國(guó)人権発展基金會(huì)に設(shè)立され、管理委員會(huì)が設(shè)立された。
日本軍の中國(guó)侵略戦爭(zhēng)期間中、日本は中國(guó)人労働者4萬(wàn)人を強(qiáng)制連行して労働させ、賃金を支払わず、また生活環(huán)境が劣悪であったことから、6千人以上が日本で死亡した。(編集YH)
「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2013年7月22日