佐々眞之助は1932年から中國侵略戦爭に參加。供述によると計5回、5年の長きにわたり中國侵略戦爭に參加し、その範囲は北は東北部、南は揚子江に至る。犯した罪行は「滔天」と形容できる。佐々眞の法廷での供述によると、彼と部下はかつて捕えた中國平民を針金で數(shù)珠繋ぎにして殺害した。捕えた中國人を針金で縛って川に投げ込み溺死させた。生きている中國人を毒ガス室に入れて実験した。中國人女性數(shù)十人を強姦した。湖北省襄樊の戦いで重慶軍3500人を殺害した。
佐々眞の1954年8月~1956年5月の供述書によると、佐々は1893年福岡県生まれ。1932年9月から中國侵略戦爭に參加し、関東軍第十師団歩兵第六十三連隊第三大隊長(少佐)、1945年7月より関東軍第三方面軍第三十九師団長。1945年8月23日にソ連軍の俘虜となった。
重要な罪行として、以下のものが挙げられる
1932年10月、「佳木斯駐屯間密偵容疑者トシテ中國人民約三十名ヲ逮捕シマシタ」?!竷?nèi)抗日戰(zhàn)士十五名、人民六名ヲ拷問ノ上殺害シマシタ」?!讣涯舅箹|北方約十粁ノ部落ニ於テ」「戰(zhàn)場ノ部落ノ人民ニ與ヘタ損害、私ノ命令ニ依ル殺害五名」。
1940年8月、浙江省莫干山で「私ノ部下大隊ハ戰(zhàn)闘間毒瓦斯(緑筒)ヲ使用シテ重慶軍戰(zhàn)士ニ大ナル損害ヲ與ヘマシタ」。10月、浙江省諸曁で「重慶軍戰(zhàn)士約六百名ヲ殺害シマシタ。此中ニハ戰(zhàn)闘中重傷者及俘虜戰(zhàn)士殺害推定約四十名ヲ含ミマス。此罪悪ハ私ガ平素之等俘虜ヲ殺害スベキコトヲ教育シタ結(jié)果デアリマス。又各大隊ハ戰(zhàn)闘間毒瓦斯(緑筒)ヲ使用イ重慶軍戰(zhàn)士ニ大ナル損害ヲ與ヘマシタ」。
1941年1月、浙江省杭州でその指揮する第一大隊は「密偵容疑者逮捕約二十名 拷問殺害約七名」、第二大隊は「密偵容疑者逮捕約二十名、拷問ノ上殺害約九名」第三大隊は「密偵容疑者逮捕約二十五名、拷問殺害約八名」。
1943年12月、オランダ領アンボン島で「「インドネシア」婦人十數(shù)名ヲ強制的ニ使用シテ慰安所一ヲ設ケ日本兵士ノ用ニ供シマシタ。是ハ「インドネシア」婦人ニ對スル重大ナ侮辱行為デアリマシタ」。
1944年6月、浙江省金華方面より衢州方面に向かう作戦で「人民約五十名ヲ殺傷シ」た。
1945年1月、湖北省當陽で「師團が各部隊將校ヲ當陽ニ集メテ瓦斯教育ヲ行ッタ時俘虜二名ヲ瓦斯室ニ入レテ瓦斯効力試験ニ使ヒ又師團軍醫(yī)部ガ俘虜四名ヲ瓦斯室ニ入レテ瓦斯効力試験ヲ行ヒテ虐待シ共々遂ニ殺害シマシタ」。
1945年3月、湖北省襄樊作戦期間に、重慶軍戦士約3500人を殺害し、中國人民約200人を殺害し、中國女性約50人を強姦し、民家約200軒を焼卻するなどした。(編集NA)
「人民網(wǎng)日本語版」2014年7月7日
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