國家公文書局はは14日、公式サイトで『中國侵略日本人戦犯供述書選』(四)--日本人戦犯?三神高の供述書を公開した。新華網(wǎng)が伝えた。
三神高1954年8月1日の供述によると、彼は1921年に生まれ、原籍日本山梨県。1942年中國侵略戦爭(zhēng)に參加、1945年8月捕虜となった。
重要な罪行には以下のものがある。
1942年6月、山東省臨清県に駐屯していた時(shí)、月吉軍曹は自己の性病を治すため「屢々分隊(duì)員に人間の脳味噌を取ってくる様命じました」。私は橫倉一等兵に「『討伐』に行ったら取って來てやれ」と言い、「某部落より中國人民(性別年齢不明)を殺害させ、その脳味噌を取って來らせた。私はその脳味噌を焼き、ヤカンに入れ、センに月吉軍曹の性病の薬にしました」。臨清県內(nèi)にいた時(shí)、私はまた「権力を以って朝鮮婦女二名(十八歳-二十歳)を強(qiáng)姦しました」。
1942年8月、山東省陶館県において、捕らえられた中國平和農(nóng)民男子二名に対して「拷問を行い」、「一口も口をきかないと言う理由を以って大八木少尉は更に『初年兵に度胸だめしをさせる』」と言い、「私外六名に銃剣で胸部を刺突…穴に埋めました」。
1943年2月、臨清県において、夜間に「抗日軍約1000名(情報(bào)に依るとの)に対し攻撃」、命令により「遂次侵攻砲弾四十発を発射、此の內(nèi)催涙性窒息性瓦斯弾十二発。発射部落より脫出者は城門外に重機(jī)関銃が位置し、抗日戦士及平和人民三百七十名の大量虐殺を行いました。私が部落に侵入して目撃した被害狀況は…部落內(nèi)外に三ヶ所に抗日軍及住民が重なり合って、殆ど手拭で口を覆い鼻からは鼻水を出し、顔は紫色にはれ上がって死んで居りました」。
1943年1月から6月まで、臨清県において「権力を以って朝鮮婦女二名(十八歳-二十歳)を十回に亙り強(qiáng)姦しました」。
1945年4月、山東省膠済線において、訓(xùn)練帰途「中國平和農(nóng)民男子一名(四十歳位)が聯(lián)隊(duì)砲分隊(duì)と大隊(duì)砲分隊(duì)の中間を橫切ったと言う理由を以って、私は「たたき殺せ」と10米後方から木村伍長(zhǎng)に命じ該農(nóng)民の後頭部を標(biāo)桿で毆打させ殺害しました」。(編集LX)
「人民網(wǎng)日本語版」2015年8月17日
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