ブン川(ブンはさんずいに文)地震発生から8年目にあたる今年、四川省綿竹市の人民病院リハビリテーション科の治療師于占東さん(30)が內(nèi)蒙古(內(nèi)モンゴル)から四川にやってきて仕事をし始め8年目の年でもある。ブン川地震発生時(shí)、黒竜江省大慶市の病院で治療師をしていた彼は、ネットで「福幼基金會(huì)」5.12負(fù)傷者のリハビリプロジェクトの募集の告知を見つけ、すぐに応募した。3年の醫(yī)療リハビリテーション経験と専門的な教育経験を持つ彼は速攻で選考を通過した。熟考を重ねた末に彼は大慶での仕事を退職し、2008年11月、単身でブン川地震の被災(zāi)地に向かい、リハビリプロジェクト第1陣のボランティアになった。被災(zāi)地に到著すると、彼は他のボランティアと直ちに地震で負(fù)傷した人々のリハビリ治療を?qū)g施し、負(fù)傷者の機(jī)能障害狀況を確認(rèn)しリハビリテーション治療プログラムを作成した。新華網(wǎng)が伝えた。
ブン川地震の被災(zāi)地でリハビリテーション治療ボランティアを擔(dān)當(dāng)した2年間、彼は綿竹市管轄のすべての県、郷や江油市管轄の県、郷の一部を隅々まで訪れ、數(shù)えきれない地震の負(fù)傷者が彼の治療を受けた。2010年、2年間のボランティア活動(dòng)を終えた于さんは四川に留まることに決め、綿竹人民病院リハビリ科で仕事を続けた。それから8年、彼はすっかり本物の四川人になりきっている?!杆饯嗡拇ㄓ灓辘悉Δ蓼悉胜い?、患者とコミュニケーションを取る分には何の妨げもない」と于さんは話す?,F(xiàn)在、同病院リハビリ科は地震後4人だったのが今や32人にまで大きくなり、8年頑張り抜いた彼は成果を上げたとともに、同市で自分の家庭も作った。妻の劉玉は生まれも育ちも生粋の四川っ子だ。今年、彼らの間には新たな家族が誕生する予定だ。(編集JK)
「人民網(wǎng)日本語版」2016年5月12日
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