記者がユリヤ?ナウモバさんに初めて會(huì)ったのは、在ロシア中國大使館で開催されたロシア中國畫蕓術(shù)愛好者招待會(huì)だった。そのとき、ユリヤさんが描いた長い水墨畫作品に目を奪われた。川には一葉の軽舟が浮かび、岸には枯れた木と石があり、何ともいえない美しさがあった。さらに、そこには中國?北宋の文人?范仲淹の詩「江上漁者」も書かれていた。私は「外國人なのに、水墨畫を描くのがなぜこんなに上手なのだろう?」と疑問に思い、彼女に興味を持った。人民日報(bào)が報(bào)じた。
「中國畫とは運(yùn)命の出會(huì)い」
中國文化に興味を持った理由について、ユリヤさんは、「多分運(yùn)命なのだろう。子供の頃から、東洋の絵畫が大好きで、挿し絵が美しい『アジアの童話』という本は今でも大事にとってある。その本では主に中國の童話が紹介されている。當(dāng)時(shí)、図書館で見た中國関連の畫像やアニメに魅了された。特に、アニメ『大暴れ孫悟空(原題:大鬧天宮)』(1961年)は印象深かった。80年代末、テレビ局に入社したユリヤさんは図書館で初めて斉白石や、徐悲鴻、呉昌碩などの中國美術(shù)界の巨匠の作品を見ることができ、とても気に入った」と説明した。
96年末にモスクワ中國伝統(tǒng)文化発展センターで開催された中國伝統(tǒng)工蕓品展覧會(huì)の開幕式は、モスクワで大きな話題となり、押し寄せた大勢の観客の中にユリヤさんもいた。ユリヤさんは、清らかで美しい雰囲気ただよう中國の山水畫や書道作品などに心を奪われた。その後、ユリヤさんは同センターの先生に書道を?qū)Wぶようになったが、學(xué)んでいくうちに、その意味が分からないならば、書けるようになっても意味はないことに気づいた。
中國に対する思いは募るばかりで、ユリヤさんは、中國山東省の臨沂師範(fàn)學(xué)院(現(xiàn)在の山東臨沂師範(fàn)大學(xué))の美術(shù)學(xué)院で仕事をするための申請を行うという人生で最も大きな決斷を下した。そして2005年、少しでもお金を節(jié)約するために、ユリヤさんは娘を連れてシベリアを走る國際列車に乗り、1週間かけてやっと中國に到著した。その後、臨沂で中國の學(xué)生にロシアの油絵を教える仕事を始め、仕事以外の時(shí)間は全て中國畫の勉強(qiáng)にあてた。
このウェブサイトの著作権は人民日報(bào)社にあります。
掲載された記事、寫真の無斷転載を禁じます。
Tel:日本(03)3449-8257
Mail:japan@people.cn