570年以上前、襄王府の緑影壁に嵌め込まれた夜明珠は、時(shí)代が移り変わる中で失われてしまった。獨(dú)特の原料と特殊な技法で複製に成功した夜明珠がこのほど襄王府に「帰還」し、2014年の元旦に一般公開されることが明らかになった。
史籍の記載によると、襄王府は明仁宗の5番目の息子、襄憲王の邸宅で、當(dāng)時(shí)の襄陽城の十分の二、三の広さを誇っていたと言う。後に李自成が襄王府を焼き盡くし、かつて豪華だった邸宅は完全に失われたが、珍品の緑影壁は無事に殘され、現(xiàn)在では全國重點(diǎn)保護(hù)文化財(cái)となっている。
緑影壁は中國で現(xiàn)存する影壁の中でも獨(dú)特の特色を持つ。三つの壁に分かれ、全長(zhǎng)26.2メートル、中央は高さ7.6メートル、左右両側(cè)は高さ6.7メートル、厚さ1.6メートル。三つの壁はいずれも不規(guī)則な緑礬石に浮き彫りがほどこされ、白い白礬石で縁取りがされている。壁の主畫面や臺(tái)座、上部などには竜99體が刻まれ、大きいものは5メートル以上、最も小さいものはわずか10數(shù)センチで、全國の石彫蕓術(shù)の中でも類を見ない珍品である。北京の北海、山西大琉璃の九竜壁と並んで中國の三大影壁と呼ばれる。中央の主畫面には空を飛ぶ巨大な2體の竜が刻まれており、直徑33センチに達(dá)する珠を取り合っているように見える。伝説では緑影壁の2體の竜が取り合うこの珠は夜明珠だと言われ、毎晩、夜明珠の放つ光で壁の前は晝のように明るくなると言われる。しかし後に夜明珠は失われ、その行方は現(xiàn)在に至るまで明らかではない。
今年8月に襄王府、夫人城、米公祠風(fēng)景區(qū)を運(yùn)営する湖北谷山休日文化観光発展有限公司は襄陽日?qǐng)?bào)社傘下の智都文化伝播有限公司と提攜し、襄王府緑影壁の歴史的、文化的特色を際立たせ、夜明珠を見たいという観光客の意向をかなえるために、専門グループを立ち上げ、失われた夜明珠に関する資料の収集を始めた。グループメンバーが苦労を重ねた末に、夜明珠の製作に使われる蛍石の原材料を探し出し、緑影壁上の夜明珠の大きさに合わせて直徑36センチメートル、重さ100キロの夜明珠を複製した。夜明珠はエネルギーが安定し、暗闇の中では緑や白の蛍光色を放ち、月のような美しさを見せる。
襄陽智都文化公司の擔(dān)當(dāng)者によると、この夜明珠の展示ケースは緑影壁と離れた場(chǎng)所で向かい合っており、2014年元旦に一般公開される。(編集YH)
「人民網(wǎng)日本語版」2013年12月31日
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