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2014年4月30日  
 

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日本の侵略の真実を伝える「従軍日誌」

 2014年04月25日10:25
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 熊本県出身の武藤秋一氏は1935年、舊日本軍の第6師団に入隊(duì)した。37年7月7日に、全面的な中國侵略戦爭の直接の導(dǎo)火線となった盧溝橋事件を日本が起こし、同月27日に、武藤氏が所屬していた部隊(duì)が中國戦線への派兵通知を受けた。その3日後、武藤氏らは北九州から朝鮮半島を経由し、中國に入った。武藤氏の「従軍日誌」は、この時(shí)期から始まり1938年7月4日まで続く。37年9月、武藤氏は天津で初めて人を殺し、動(dòng)揺から日誌を1週間停止したが、それ以外は毎日、日誌を綴った。記録ができなかった1週間に関して、武藤氏は息子の田中信幸さんに、「動(dòng)揺し、食事ものどを通らないほどショックであった」と告げている。人民日?qǐng)?bào)が報(bào)じた。

 今年初め、田中さんは「人民日?qǐng)?bào)」に、父親が戦爭に參加した事に対する遺憾の思いや、もう2度と戦爭を起こしてはいけないという思いを寄稿すると共に、「従軍日誌」の存在を中國の人々に伝えた。このほど、人民日?qǐng)?bào)の駐日記者が熊本県に住む田中さんを訪ね、忘れられかけている歴史を聞いた。

 「1937年9月2日、便衣隊(duì)(民間人に扮した中國兵士)を切りに行く。沼田少尉執(zhí)刀のもとに切る。わが分隊(duì)みな一剣づつ突く」。この時(shí)、武藤氏は初めての人殺しの體験で、その後1週間ほど動(dòng)揺し、食事ものどを通らないほどショックだった。日誌の記述も一週間途絶えた。ところが、その後1937年9月9日、「明日、ついに最前線に出発する日を迎える……首を長くして待っていたあこがれの最前線。天津に滯在中、便衣隊(duì)2人を殺した」と、普通のことのように日誌を再び綴り始めた。

 「1938年2月21日、今日は楽しい外出日だ。石川と二人で先ず「朝鮮征伐」に行く。四回目だった。慶尚南道から來たトミコ。次は「支那征伐」に行く。初めてだった。そして最後に、かつての戀人八重ちゃんそっくりの懐かしい竹の七號(hào)室のチエコのところに行った。多少のいざこざは起こしたが、結(jié)局とりあえず先に帰ってきた」。

 武藤さんから「従軍日誌」を渡され、その內(nèi)容に田中さんはショック受けた。日誌を開くと、さまざまな殘酷な行為が平然とはっきり記録されていた。人を殺した時(shí)のことなどを、武藤さんから聞いていたものの、日誌を見て詳細(xì)を知り、身の毛のよだつ思いがしたという。

 田中さんの部屋には、武藤さんから渡された手紙と葉書き300通以上が便箋、封筒と共に保管されていた。手紙は2つのファイルケースで保管され、70年以上たった今も、その內(nèi)容や切手、消印、軍事郵便マークなどがはっきり分かるほど、保管狀態(tài)が良かった。田中さんは、父親の従軍時(shí)代の寫真や、1940年に受けた勲章も見せてくれた。

 田中さんは取材に対して、「學(xué)生時(shí)代に、明治維新や日ロ戦爭の歴史しか學(xué)ばなかった。第2次世界大戦についての言及は非常に少なかった?!亥ぅ硇浴护洹亥荪磨昆嘈浴?、東京裁判などの內(nèi)容は一切教科書に書かれていなかった」と語る。

 この點(diǎn)、田中さんは、「當(dāng)時(shí)、日本は殘酷な侵略戦爭を起こし、周辺國に大きな傷を與えただけでなく、日本の庶民の生活にも大きな影響を及ぼした?,F(xiàn)在の學(xué)校は、その時(shí)の歴史を教えなければならない。しかし実際はというと、日本政府は終始、侵略の歴史に対する正しい認(rèn)識(shí)を明確には示しておらず、侵略の歴史や関連の教訓(xùn)を?qū)W校教育に盛り込むこともしていない。そのため、多くの日本人、特に若者は、日本がかつて起こした侵略戦爭の過ちを全く知らない」と指摘する。

 田中さんはまた、「當(dāng)時(shí)、戦爭を経験した人は、後の世代に戦爭の事を語らないままに、この世を去ってしまっている。口伝えの內(nèi)容には説得力がない。だから、父が私に殘してくれた日誌や手紙は非常に貴重。特に、現(xiàn)在非常に重要な意義を持っている」とし、それらをまとめて本にして出版する計(jì)畫を明かした。そして、武藤氏の子孫を含む日本の國民に、武藤氏の世代の人々がどのような心境で、どのような戦爭に參加したのかを伝えたいという?!附K戦70周年に間に合わせたい。タイトルは『父の戦爭(仮)』。この本に、父の戦爭に対する認(rèn)識(shí)、反省、謝罪などを込めたい。日本人だけでなく、中國、韓國などの人々にもこの本を読んでほしい。そして、一層多くの人に、これらの資料を通じて、父親が経験したことや、日本が起こした侵略戦爭がどれほど殘酷だったかを知り、今ある平和がどれほど大切かを感じてほしい」と田中さん。(編集KN)

 「人民網(wǎng)日本語版」2014年4月25日

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コメント

豊島幸一郎   2014-04-28211.124.175.*
幸福に長生きしますように、幸福な輪廻転生をしますように。すばらしい、ありがとう、日本から。wonderful. thank you. from Japan.kouitirou toyosima
nakayama -kunio   2014-04-26121.103.118.*
記事を読んで、あなたの勇気と信念には感銘しました。俺の親父は、ほとんど語らずじまいでした。普通の日本人だったのです。あなたの親父は自分を客観視できた人だとおもいます。私たちの歴史に向かい合うことの覚悟は重いものでしょうが、あなたの行動(dòng)は、吹っ切れたすがすがしさを感じます。次世代のため、貴重な本ができそうです。応援します。
宮田聡美   2014-04-2549.65.86.*
南京大虐殺の記念館で見た映像で、罪悪を告白した元日本兵の老人が、真実を話す機(jī)會(huì)を與えてもらえたことに感謝していました?!腹怼工椤溉碎g」に戻り、人としての良心を満足させて死ねることに感謝しているのだと思います。日本は、明治以來、鬼の國になりましたね。鬼が鬼を支配し、鬼が鬼の子を生み、育て、鬼として戦場に行き、殺し、奪い、焼き、毒を撒き、姦し、鬼として殺され、生きて帰れても、鬼のまま働かされ、枯れ果てて死ぬ?!腹怼工稀感笊工酥盲瓝Qえてもよいです。生まれた途端に「家畜」、學(xué)校では詰め込み教育と規(guī)制に縛られた「校畜」、卒業(yè)したら低賃金長時(shí)間労働の「社畜」そして、安倍政権の下では「國畜」。

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