中國の「歴史文化名城」に指定されている河南省安陽市の市街地西北郊?殷都區(qū)に位置する殷墟は、洹河の南北の両岸にあり、殷王朝(紀(jì)元前17世紀(jì)頃 - 紀(jì)元前1046年)後期の首都の遺構(gòu)で、中國の歴史上、文獻(xiàn)に記載があり、甲骨文字や考古學(xué)的によって実在が確認(rèn)されている最古の首都の遺跡となっており、現(xiàn)在までにすでに3300年の歴史を経てきた。人民網(wǎng)が報じた。
殷墟宮殿宗廟遺跡景勝地は、殷墟宮殿宗廟區(qū)內(nèi)にある世界文化遺産で、中國の考古學(xué)や甲骨文の発祥地となる。1973年以前に発掘された建築物53棟の土臺は、考古學(xué)者によって「甲」、「乙」、「丙」に區(qū)分されている?!讣住工藚^(qū)分されているのは15棟の建築物の土臺で、宮殿宗廟區(qū)內(nèi)で最古で、使用時間が最も長い建築物となっている。殷王朝の宮室、寢居があったとされている。「乙」に區(qū)分されているのは21棟の建築物の土臺で、殷王朝の先祖に対する祭祀を行う宗廟だったと見られている。そして「丙」に區(qū)分されているのは17棟の建築物の土臺で、殷王朝の祭壇があったと見られている?,F(xiàn)時點で、宮殿宗廟區(qū)では大型の版築の建築物約80棟の土臺が発見されている。
1976年に考古學(xué)者によって発見された「婦好墓」には副葬品が大量に埋蔵されており、青銅器や玉器といった文化財1928點が出土している。うち、「司母辛鼎」は、殷墟博物館の「寶」とされており、被葬者の「辛」は、中國最古の女性將軍で、歴史上非常に名高い武丁の王后で、「婦好」と呼ばれていた。王后ながら、征伐に赴き、軍勢を率い、祭祀も執(zhí)り行ったという伝奇的な女性だ。(編集KN)
「人民網(wǎng)日本語版」2022年7月22日