日本の中國(guó)殘留孤児と中國(guó)人の養(yǎng)父母との深い愛(ài)情を伝える寫(xiě)真展「國(guó)境を越えた人間愛(ài)‐中國(guó)殘留日本人孤児の物語(yǔ)」が、3日から日本?東京で開(kāi)催されている。戦爭(zhēng)の殘酷さへの認(rèn)識(shí)を喚起するとともに、中日友好関係の重要性を改めて訴えるのが狙いだ。新華網(wǎng)が伝えた。
この寫(xiě)真展で展示された作品は同名の本から選ばれたもので、4つの部分に分かれる。遺棄され、中國(guó)人養(yǎng)父母に育てられた日本人孤児が、成人し、血縁を捜しに日本へ行き、最終的に日中平和友好の使者になる過(guò)程が描かれている。開(kāi)催當(dāng)日には大勢(shì)の殘留孤児やその家族が來(lái)場(chǎng)し、中國(guó)人養(yǎng)父母と日本人孤児が一緒に寫(xiě)った寫(xiě)真の前で足を止め、當(dāng)時(shí)のことを思い返し、中國(guó)人養(yǎng)父母の溫かい愛(ài)情に感謝の念を新たにした。
NPO法人中國(guó)帰國(guó)者?日中友好の會(huì)の池田澄江理事長(zhǎng)は中國(guó)殘留日本人孤児の一人。中國(guó)人の養(yǎng)父母に引き取られた時(shí)はまだ10カ月にもならなかったという。取材に答える中で、「平和がほしい、戦爭(zhēng)はいらないというのは、自分の願(yuàn)いであるだけでなく、日本國(guó)民すべてに共通する願(yuàn)いだ。戦爭(zhēng)は人間に災(zāi)厄と苦痛と後悔しかもらたさない。中國(guó)がなければ今の私はない。中國(guó)の溫かい愛(ài)情は海よりも深く、空よりも高く、永遠(yuǎn)に忘れることはない」と述べた。
中國(guó)殘留日本人孤児の問(wèn)題に取り組む遼寧社會(huì)科學(xué)院歴史研究所の研究員で、「國(guó)境を越えた人間愛(ài)‐中國(guó)殘留日本人孤児の物語(yǔ)」の作者の張志坤さんは、寫(xiě)真展開(kāi)幕式でのあいさつの中で、「ここにある寫(xiě)真が物語(yǔ)るのは、重厚な歴史の記憶だ。日本の中國(guó)侵略の歴史の生き証人である日本人孤児の存在は、日本の軍國(guó)主義が中國(guó)人に甚大な災(zāi)難をもたらしただけでなく、日本人も苦しみの淵に追いやったことを証明するものだ。また、日本人孤児の物語(yǔ)は國(guó)境を越え、民族の怨恨を超えた大きな真の愛(ài)情を示すものでもある。中國(guó)の養(yǎng)父母は日本のファシスト達(dá)の毒牙に苦しめられながら、敵の子どもを引き取って育て、成人まで育て上げて日本に送り返した。ここには崇高な人道主義の精神と善良な愛(ài)の心が體現(xiàn)されている」と述べた。
開(kāi)幕式には、在日本中國(guó)大使館の代表と日本各界の友好の士も出席した。
中國(guó)殘留日本人孤児とは、1945年に第2次世界大戦が終結(jié)した時(shí)に中國(guó)に置き去りにされ、中國(guó)人によって育てられた日本人の孤児をいう。人數(shù)は4千人を超え、9割が東北3省と內(nèi)蒙古(モンゴル)自治區(qū)に集中していた。中日國(guó)交正?;吾?、孤児達(dá)は中國(guó)政府と中國(guó)國(guó)民の支援を受けて日本に帰國(guó)した。
中國(guó)人養(yǎng)父母による日本の戦爭(zhēng)孤児の養(yǎng)育は、中國(guó)の歴史にも世界の歴史にも他に例をみない。ここには民族や國(guó)境の壁、文化的な相違を超越した深い人間愛(ài)が凝縮されている。(編集KS)
「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2015年7月5日
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