東京から新幹線で約1時間の距離にある富士山南麓の靜岡県富士市は、山頂に白い雪を戴く富士山を臨むことができるこの街には、日本在住の中國人畫家?王伝峰さんの自宅がある。王さんは25年前から日本に住み始め、同市を離れたことがないという。(文:華義。新華網(wǎng)掲載)
ファッションにもこだわらず、やや無邪気ともいえる表情を浮かべる王さんは蕓術(shù)家にはあまり見えない。50歳を迎えたばかりの王さんは普段から自分は山東省の沂蒙山の農(nóng)家の子だと周りに言っているが、王さんの作品は日本の切手に2回採用されたばかりか、中國や海外の著名な博物館に何度も展示されており、北京の釣魚臺國賓館にも所蔵されているような人々に一目置かれる作品なのだ。
王さんは1990年代に浙江省杭州市の西湖の畔にある中國美術(shù)學(xué)院に入學(xué)し、花鳥畫?水墨畫を?qū)煿イ筏?。その後?992年に日本での留學(xué)を始めた。王さんは當(dāng)時中國國內(nèi)の畫壇ですでに頭角を現(xiàn)していたが、伝統(tǒng)的な中國の水墨畫では満足できず、絵畫蕓術(shù)でのコラボやイノベーションを得たいと考えたのだという。日本の畫壇で巨匠として名高い東山魁夷や平山郁夫などの作品に興味を持っていた王さんはその視線を日本に向けた。王さんは日本で自分の絵畫の方向性を探り、魚を描くという獨自の畫風(fēng)を確立した。獨特なその畫風(fēng)は溢れんばかりの色彩が自在に変化し魚と水が輝きに満ちている。
2002年、王さんの作品と畫家?■林(■は登へんにおおざと)の作品は日中國交正?;?00周年記念切手のデザインに選出された。2004年、王さんは日本の東京國立博物館で個展を開き、同館設(shè)立約100年の歴史の中で、初の存命の蕓術(shù)家による個展開催となった。2008年、王さんは日本の有名畫家である平山郁夫と共同で、日中平和友好條約締結(jié)30周年記念切手のデザインを制作した。2010年、その作品は中日友好協(xié)會から明仁天皇に贈呈された。
絵畫制作以外に、コレクションが王さんの主な趣味となっている。2011年3月11日に発生した東日本大震災(zāi)とその余震により、王さんが長年集めてきた陶磁器が一瞬にして粉々になってしまったが、その中で全く壊れなかった古い竹かごに蕓術(shù)作品の生命力と魅力を感じ、100年前に作られた竹かご作品を?qū)熼Tにコレクションするようになったのだという。また、親友である建築家の隈研吾と著名な寫真家の篠山紀(jì)信とともに互いの専門分野の垣根を越えた創(chuàng)作作品を制作した。王さんがコレクションした200個の竹かごに生けた花を主體として、隈研吾がデザインした建築空間を篠山紀(jì)信が撮影し、寫真集「餘香 挿花蕓術(shù)」を出版し、アリババ(阿里巴巴)集団の馬雲(yún)會長がその序文を書いた。
成功者となった男性の背後には、必ずと言っていいほど黙って支える女性の存在があるもので、王さんも幸せな家庭を築いている。25年前に日本に留學(xué)に來た際に中國人の妻と知り合い、結(jié)婚後は3人の娘に恵まれた?,F(xiàn)在、長女は上海に留學(xué)、次女は大阪の大學(xué)に進(jìn)學(xué)、三女だけが実家から高校に通っているという。
娘たちはもともと中國語が話せなかったが、現(xiàn)在上海に留學(xué)している長女は流暢な中國語を話せるようになっている。王さんと奧さんは娘たちに進(jìn)路の希望を押し付けたり、人生の目標(biāo)を勝手に設(shè)定したりすることはない。娘たちは全員絵を描くことができるが、畫家になることに期待はしていないという。
日本在住歴25年になる王さんは中日文化交流の第一線でずっと活躍しており、數(shù)多くの重要な中日交流活動では常に王さんの姿を目にすることができる。王さんは多くの日本人蕓術(shù)家と交流しており、元日中友好協(xié)會名譽會長で、今は亡き畫家の平山郁夫は王さんの師であり、友人であった。王さんは2004年に中國の國家博物館で「現(xiàn)代中國著名畫家100人と王伝峰の共同絵畫展」を開催するなどして、中國國內(nèi)の多くの優(yōu)秀な蕓術(shù)家と協(xié)力している。また、多くの書道家と協(xié)力し、書道と絵畫のジャンルを越えた共同創(chuàng)作活動を行っている。王さんは中日交流の分野で素晴らしい成果を収めており、2011年には中日友好協(xié)會から「中日友好使者」の稱號を授與された。
故郷の沂蒙山が王さんの誠実で重厚な性格を育てたというなら、杭州の大自然の霊気が王さんに蕓術(shù)センスを與え、風(fēng)光明媚な富士山がその才能を開花させたといえるだろう。王さんは、「日本絵畫から多くのインスピレーションを得られた。自分の伝統(tǒng)的な蕓術(shù)作品の創(chuàng)作活動を基盤として日本絵畫の特徴を加え、獨自の蕓術(shù)スタイルの形成に挑戦し続けている。50歳は畫家としての生命力が一番盛んになる時期であり、新しい創(chuàng)作スタイルの模索を続け、自分のイノベーション、限界突破を目指し続けていくつもり」とその思いを語った。(編集YK)
「人民網(wǎng)日本語版」2017年9月20日
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