6月23日、北京では大雨が降りしきる夜となったものの、保利劇院は熱気に満ち、「ピンクの海」と化していた。
その日、保利劇院では、心あたたまるファミリーミュージカル「人間になりたがった貓」が上演された。その夜、同劇院の大ホールには、忙しく働いている女性の姿があった。彼女は、このミュージカルを企畫し、プロデューサーを務(wù)めた日本の劇団四季の中國代表?王翔淺さんだ。
1992年、留學(xué)に日本を訪れた王翔淺さん
北京から東京に行きミュージカルに出會う
大學(xué)卒業(yè)後、中國語を?qū)熼Tに學(xué)んだ王さんは、北京人民蕓術(shù)劇院に入社し、宣伝?企畫、スクリプターなどの仕事をするようになった。その間に、朱旭や朱琳、任寶賢など経験豊富なアーティストと出會うことができ、伝統(tǒng)演劇に関するスキルを磨いた。その後、日本に留學(xué)し、好きな演劇を?qū)熼Tに東京大學(xué)や東京學(xué)蕓大學(xué)で學(xué)んだ。當(dāng)時は1990年代で、多様性に富み、自由で、新鮮な日本の演劇に王さんは感銘を受けた?!府?dāng)時、東京ではほぼ毎日、演劇を見ることができた。そして、日本の演劇は表現(xiàn)方法や內(nèi)容の面でとても自由で、歌舞伎などの伝統(tǒng)演劇はチケットを手に入れるのも難しいほどの人気。西洋風(fēng)の現(xiàn)代演劇も若者の間で人気を博している」という。
2002年、日本で働くようになっていた王さんは、會社の企畫で劇団四季のミュージカル「マンマ?ミーア!」を鑑賞しに行った。王さんにとっては人生初のミュージカルだった?!弗撺濠`ジカルという、歌と踴りと物語が完璧に融合されたアートを初めて見た。上演後は、観客と役者らが一緒に歌いながら踴り、なかなか劇場を後にしなかった。その時の衝撃と愉快な雰囲気は、伝統(tǒng)演劇では決して得られなかったもの。その時からミュージカルに夢中になり、劇団四季が大好きになった」と王さん。
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