宮城県仙臺(tái)市は中國(guó)の作家?魯迅のゆかりの地としても有名だ。魯迅は官費(fèi)留學(xué)生として來(lái)日し、東京の留學(xué)生教育機(jī)関である弘文學(xué)院で學(xué)んだ後、1904年に仙臺(tái)醫(yī)學(xué)専門學(xué)校に入學(xué)した。そこで今回は仙臺(tái)で魯迅の足跡をたどってみた。人民網(wǎng)が伝えた。
仙臺(tái)醫(yī)學(xué)専門學(xué)校に入學(xué)した魯迅が當(dāng)時(shí)下宿していた場(chǎng)所には現(xiàn)在「魯迅故居跡」という石標(biāo)が立てられている。下宿先の建物の明確な位置は記録として殘っていないが、その敷地內(nèi)であったことが分かっているという。私有地のため、建物の中に入ることはできないが、そのたたずまいから當(dāng)時(shí)の雰囲気を感じ取ることができる。
魯迅が通っていた仙臺(tái)醫(yī)學(xué)専門學(xué)校のそばには第二高等學(xué)校があり、その二校があった場(chǎng)所は現(xiàn)在、東北大學(xué)片平キャンパスとなっている。同キャンパス內(nèi)には「魯迅先生像」が設(shè)置されており、その隣には魯迅が通っていた仙臺(tái)醫(yī)學(xué)専門學(xué)校の記念碑が立っている。
また、同キャンパスには魯迅が授業(yè)を受けていた場(chǎng)所である「階段教室」が殘されている。1904年の建築後、改修?移築が行われたが、當(dāng)時(shí)の面影を感じさせる歴史的なたたずまいを今も殘している。この教室で幻燈機(jī)を通して、日露戦爭(zhēng)に関する時(shí)事的幻燈畫(huà)を見(jiàn)た魯迅は、歐州列強(qiáng)の脅威を目の當(dāng)たりにし、醫(yī)學(xué)の道を進(jìn)むのを止め、人々の精神を変えるために文學(xué)の道を志すこととなった。(文?木村雄太)
「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2019年1月29日
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