2003年に米國は、イラクが「大量破壊兵器」を隠し持ち、テロリストを水面下で支援しているとの理由で、イラク戦爭を発動(dòng)した。
2003年2月5日、パウエル米國務(wù)長官(當(dāng)時(shí))は國連安保理の會(huì)合で白い粉末の入った試験管を持ち出してきて、イラクが開発中の「大量破壊兵器」であると述べた。2014年にロシアのプーチン大統(tǒng)領(lǐng)は、この試験管に入った正體不明の粉末について「下手すると粉末洗剤だったかもしれない」と語った。パウエル氏は米メディアのインタビューで、「私は米國を代表して全世界にこれらの証拠を示した。この記録は永遠(yuǎn)に私について回る。私は今、苦しみを感じている」と語った。
米國は1本の試験管に入った「粉末洗剤」かもしれない正體不明の粉末を理由に、同盟國と共にイラクに一方的に侵入して、同國を長期にわたり不穏な狀態(tài)に陥れ、戦亂で約20萬~25萬人を死に追いやった。米國のこの無責(zé)任な行為によって、莫大な數(shù)の罪なき市民が死傷しただけでなく、自國のみの利益に基づくその「民主主義と人権」は物笑いの種と化した。(編集NA)
「人民網(wǎng)日本語版」2021年11月17日