1972年9月29日、中國と日本は「中日共同聲明」に署名し、國交正?;?qū)g現(xiàn)した。中日國交正?;?0年という節(jié)目にあたり、中國社會科學(xué)院日本研究所の楊伯江所長は、國交正?;幛?0年間の歩みを振り返り、正負(fù)両面の歴史的経験から學(xué)ぶことが、次の50年間の中日関係をより良く発展させるための出発點(diǎn)であると指摘する。
楊所長はこの點(diǎn)について以下のように指摘している。
正の面の経験から言うと、まず勇気と知恵と責(zé)任感を持つ必要がある。1972年9月29日までの數(shù)年間にわたる日本の內(nèi)政と外交、及び中日間の公式?非公式の働きかけを振り返ると、中日國交正?;朔磳潳工雱萘Δ瑖H的にも日本國內(nèi)にも存在していたことが分かる。
そして、中日が國交正?;蛲皮愤M(jìn)めるために採用した「二段階」モデルを振り返ると、それが従來の國交樹立モデルとは異なるものであったことも分かる。具體的には、まず中日両政府が「中日共同聲明」を発表し、國交正?;蛐浴¥饯欷?年近く後、1978年に「中日平和友好條約」を締結(jié)して、法的レベルで國交正?;纬晒虼_認(rèn)し、中日関係のさらなる深化と確実化を推進(jìn)した。
當(dāng)時(shí)を振り返って最も感慨に値するのは、あの複雑で厳しい國際情勢と日本の國內(nèi)情勢の下で、中日両國の指導(dǎo)者がこの勇敢な一歩を踏み出し、並外れた政治的な勇気と決斷力を真に示すと同時(shí)に、極めて豊かな東洋的知恵も備えていたことである。
第2の経験は、中日間の平和的協(xié)力という全體基調(diào)を堅(jiān)持することだ。両國間に溝や対立が生じた時(shí)、中國は斷固として國益を守り、原則を堅(jiān)持し、核心的利益に関わる重大で敏感な問題については譲歩しないが、同時(shí)に平和的協(xié)力という全體的な大きな方向性はしっかりと押さえている。
第3に、小異を殘して大同につくことだ。これは、2番目の経験と関連するが、より合理的なアプローチを要する。問題そのものも確かに重要だが、それを解決するための姿勢やアプローチが、問題そのものより重要であることが多い。どのように小異を殘して大同につくかを、深く考えるべきだ。(編集NA)
「人民網(wǎng)日本語版」2022年9月20日