映畫「西藏天空」。 |
映畫制作會(huì)社?上海電影集団が5年の歳月をかけて制作した「西藏天空(Phurbu & Tenzin)」がまもなく上海で先行公開される。人民日?qǐng)?bào)が報(bào)じた。
米國の成熟した文蕓映畫の配給戦略に習(xí)い、同作品はまず上海で公開され、一定の評(píng)価を得た後に、他の都市でも公開し、最後に中國全土で公開される。作家の葉辛は「西藏天空」について、「西蔵(チベット)自治區(qū)を題材にした映畫は近年、世界を見ても少ない」としている。
チベット族解放の歴史にスポットを當(dāng)てた同作品は、農(nóng)奴制において最も身分の低い下僕である普布と、舊西藏の世襲貴族の子息?丹增の40年にわたる変化に富む運(yùn)命、恩讐を描き、激動(dòng)を経験した西藏の歴史を史詩のように再現(xiàn)している。1940年代中期から80年代という、約半世紀(jì)の移り変わりを描く同作品は、西藏の平和的解放や武裝反亂、文化大革命などの歴史的重大事件に、勇気を持って觸れている。そして、熱い思いと現(xiàn)実主義に満ちたタッチで、西藏の平和的解放の過程で、困惑しながらも自分達(dá)の立場をしっかり守った人々の姿を描き、美しい高原で生まれた風(fēng)俗や西藏の大きな変化を生き生きと描寫している。
同作品の旗を振った傅東育?監(jiān)督は、制作理念に関して、「歴史が大きく動(dòng)いた時(shí)代の人々の感情の変化や昇華、美しさなどを再現(xiàn)した」と語っている。
同作品で腳本を務(wù)めたチベット族の作家?阿來は、「同作品を通して、西藏の解放は最終的に全ての人の解放であって、一部の人の解放ではないというテーマを表現(xiàn)できるよう努力した。農(nóng)奴の解放が、物質(zhì)的側(cè)面や人の基本的な権利であるとすれば、新しい時(shí)代を背負(fù)いたいと思っている人にとっては、どんな生い立ちであっても、最大の解放は心の解放である」と説明している。
以前「一生映畫にかかわることはない」と語っていた阿來だったが、「西藏天空」と出會(huì)い、初めて映畫の腳本に攜わることを決めた。同作品のプロデューサーを務(wù)めた、上海電影集団の任仲倫?総裁は、「我々は真実の西藏を描く作品が作りたかった。我々が見付けたのは『解放』における心の原動(dòng)力やチベット族の人々が新たな文明へと向かう心の願(yuàn)い」と、阿來との交流により、協(xié)力の基礎(chǔ)が築かれたことを振り返った。文蕓評(píng)論家の毛時(shí)安氏は、「阿來は、中國人や世界が受け入れることのできる観點(diǎn)で、同作品の構(gòu)想を練っている」と評(píng)価している。
同作品の制作に當(dāng)たり、撮影グループは1年以上かけて、阿里(ガリ)地區(qū)や納木錯(cuò)(ナムツォ)、林芝(ニンティ)地區(qū)、拉薩(ラサ)市などをめぐったほか、撮影スタッフの半數(shù)をチベット族が占めた。さらに、「多哲活仏」を演じているのがチベット族の俳優(yōu)?多布傑であるほか、チベット族の役も全てチベット族の役者が演じているなど、出演している役者の95%がチベット族だ。このように、ロケ地が全て西藏であるだけでなく、「チベット族が母語で自分の民族をめぐるストーリーを演じて」おり、同作品は本當(dāng)の意味でのチベット族の映畫、「説得力がある」內(nèi)容となっている。
「西藏天空」のように作品全體でチベット語が用いられているのは、中國の映畫史上で初めてだ。傅監(jiān)督は、「チベット語と中國語、両方の臺(tái)本があったが、役者がチベット語でセリフを語っている時(shí)、そこに含まれている感情を把握することが全くできなかった」と撮影の苦労を語っている。チベット族の俳優(yōu)らと半月以上試行錯(cuò)誤し、チベット語の簡単な會(huì)話を必死で覚えて、やっとその問題を解決できたという。(編集KN)
「人民網(wǎng)日本語版」2014年5月14日
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