3月12日、堤角公園の桜の樹(shù)の下で記念撮影する4人。左から趙學(xué)東さん、朱漢順さん、村石久二さん、易望學(xué)さん。
3月12日午前、漢口江灘には観光客がごった返し、桜の花びらが風(fēng)に吹かれひらひらと舞い落ちていた。桜の樹(shù)の下では、武漢をわざわざ訪れた1人の日本人の老人と3人の中國(guó)人の老人たちがしっかりと抱き合い、挨拶を交わし、記念寫(xiě)真を撮っていた。4人は桜のそばを歩きつつ言葉を交わし、彼らが知り合ってからの十?dāng)?shù)年の徒然に思いを馳せていた。武漢晩報(bào)が伝えた。
似たような境遇が縁で知り合った4人
1944年、村石久二さんの父親は武漢で亡くなり、村石さんは遺児となった。彼は彼の身に起きたことと、彼の父の亡くなった場(chǎng)所である武漢をずっと忘れられず、また戦爭(zhēng)が中日両國(guó)の人々にもたらした深刻な傷跡を深く心にとめていた。2001年、スターツグループの會(huì)長(zhǎng)となった彼は漢口江灘の環(huán)境総合整理が必要だと知ると、中國(guó)で1萬(wàn)株の桜の苗を買(mǎi)い求め、それを寄贈(zèng)し、さらに武漢の戦爭(zhēng)孤児3人と共に桜の園に平和記念碑を建てて、中日の末永い平和と友好を願(yuàn)いたいという考えが芽生えたという。彼は武漢市政府の外事弁公室に寄贈(zèng)の件を申し出ると同時(shí)に、市政府外事弁公室の推薦を受けて、當(dāng)時(shí)、市政府で働いていた趙學(xué)東さん、市文化局の朱漢順さんと市紀(jì)律検査委員會(huì)の易望學(xué)さんが民間人としてこの活動(dòng)に參加した。3人はいずれも戦爭(zhēng)で両親を亡くし、幼い頃、孤児院で知り合った。
2002年11月29日、漢口江灘の第一期工事が行われた粵漢埠頭側(cè)の土手には「中日友好桜林起工式」の橫斷幕が掲げられ、周?chē)欷摔仙趣辘嗓辘纹欷L(fēng)にはためいていた。市政府の指導(dǎo)者、村石さん、趙さん、朱さん、易さんらは共に桜の樹(shù)に盛り土をし、その後、堤角公園でも桜を植樹(shù)し桜の園を作ったほか、解放公園、中山公園にも桜を植樹(shù)した。
2004年6月16日、村石さんはわざわざ武漢を訪れ、漢口江灘と堤角公園で行われた平和記念碑の除幕式に參加した。
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