4日は中國の重要な伝統(tǒng)的節(jié)日の1つである中秋節(jié)。ランタン、月餅……街のあちこちでめでたい雰囲気を感じることができる。早くも魏晉時(shí)代に民間で中秋の月見が行なわれており、宋代になると夜市が夜通し開かれ、人々でにぎわっていた。中國新聞網(wǎng)が伝えた。
中秋は秋の収穫期にあたり、新米が登場し、新酒が発売されるなど、飲食は大変豊かになる。もちろん月餅も欠かせない。古代、月餅は供物として中秋節(jié)に食された。月餅を食べる習(xí)俗は唐代に始まり、北宋時(shí)代には民間に伝わったとされる。
明代になると中秋節(jié)の食品となり、民間に完全に広まった。當(dāng)時(shí)の器用な餅師は「嫦娥奔月」神話の図案を月餅にあしらい、人気を博した。清代になると月餅づくりはさらに巧みなものになった。
中秋節(jié)の習(xí)俗には月餅以外に祭月、拝月、月見、燃燈がある。蕭放氏によると、祭月は実は古代人の「月神」への崇拝儀式であり、宋代以降流行した。具體的儀式としては、舊暦8月15日の夜に屋內(nèi)または戸外に「月神」の牌を置き、果物や月餅を供えた後、ひざまずいて拝禮する。
「願(yuàn)い事は男女で異なった。男性は一般に科挙に受かって名聲を得ることを願(yuàn)い、女性は美貌を願(yuàn)った」。
中秋節(jié)の習(xí)俗は拝月?月見を中心に、各地それぞれ特徴がある。昔の北京では「兎爺」が欠かせなかったといえる。子どもたちが好むだけでなく、大人も縁起を擔(dān)いで兎爺を拝んだ。
古代、浙江一帯では観潮が中秋節(jié)の盛大な行事といえた?!钢星镉Q潮」は早くも前漢の文人である枚乗の「七発」に記載がある。宋代の大詩人?蘇軾の「八月十五日看潮」と題する詩にも描寫があり、この習(xí)俗に長い歴史があることがわかる。
「中秋節(jié)の習(xí)俗は南北で余り違わないが、北方は家族団らんを重視し、南方は屋外での行事が多い」。蕭氏によると、拝月、月見以外に、典型的な行事として寶塔燈、孔明燈などがあり、一家団欒して酒を飲み、新米のご飯を食べる?!袱长螘r(shí)、將來の娘婿が訪れて贈り物をする」。(編集NA)
「人民網(wǎng)日本語版」2017年10月4日
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