人民網(wǎng)ではこのほど、「AI時(shí)代の外國(guó)語(yǔ)教育 その苦悩と模索」をテーマとする小野寺健氏による連載をスタート。小野寺健氏は特定非営利活動(dòng)法人日中友好市民倶楽部の理事長(zhǎng)を務(wù)めるほか、長(zhǎng)年にわたり數(shù)多くの中國(guó)の大學(xué)で日本に関する教育指導(dǎo)を行い、「淮安市5.1労働栄譽(yù)賞」や「第二回野村AWARD」、「中國(guó)日語(yǔ)教育特別感謝賞」などを受賞しているほか、人民日?qǐng)?bào)海外版では「中日友好民間大使」として紹介されている。
第五章 外國(guó)語(yǔ)教育の歴史
日本においては中等學(xué)校の英語(yǔ)教育から始まるエリート教育が外國(guó)語(yǔ)教育の始まりであり、近代化創(chuàng)設(shè)期の日本においては、歐米の近代制度や技術(shù)を紹介することが、學(xué)者の主な役割とされ、學(xué)會(huì)もまたこの様な風(fēng)潮に異を唱えてこなかった。
ここから、律令制度を唐から取り入れた時(shí)代と近代化を進(jìn)めた明治時(shí)代は、社會(huì)的な土壌の整わない中で付け焼け刃的に行われたため、単純なコピーとして直接継受と稱している。
しかし、藩校や寺子屋などにおいて儒教が広く浸透していたので、お雇い外國(guó)人のボアソナードが起草した民法は、「民法出デテ忠孝亡ブ」という民法典論爭(zhēng)を巻き起こし、その施行が延期され、封建的な家族制度が溫存された。
かくて、法整備が進(jìn)んだものの近代法の趣旨が骨抜きにされ、後進(jìn)的な民法が施行されることになった。
この様な事例は法制史においては悪しき事例となるが、自國(guó)文化との折衷により成立したため、間接継受と稱される。
筆者が初めて訪中した1990年代は、日本語(yǔ)能力試験1級(jí)(N1)合格が就職の切り札となり得た黃金期であり、その後は同時(shí)通訳と翻訳が花形とされる時(shí)代を迎えた。それを裏付ける様に、福田康夫首相の天津訪問(wèn)時(shí)の歓迎の挨拶は、修剛天津外國(guó)大學(xué)學(xué)長(zhǎng)であり、通訳は、王健宜南開(kāi)大學(xué)外國(guó)語(yǔ)學(xué)院院長(zhǎng)だった。
この様に、大學(xué)教師が長(zhǎng)く外交やビジネスにおいて、重寶された時(shí)代が続いていたが、筆者が宮本雄二大使の河南省公式訪問(wèn)に同行した時(shí)の通訳は、大使専任の通訳と中國(guó)日本商會(huì)(日系企業(yè)の商工會(huì)議所)の雇ったバイリンガルの二人で、その実力の差は、歴然としていた。
こうした大學(xué)教師とビジネス通訳者の違いは、大學(xué)教師は汎用性が高く、一方のビジネス通訳者は、専門性と即応性が高いと言われている。
しかし時(shí)代は移ろい、現(xiàn)在ではN1合格も空手形となり、同時(shí)通訳と翻訳もAI時(shí)代を迎えて、風(fēng)前の燈であると言っても過(guò)言ではあるまい。
「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2019年1月31日
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