2、NBAコミッショナーのアダム?シルバー氏について
1)シルバー氏の認識はダリル?モリー氏と同じで、彼らはいずれも米國メディアと政治家たちの意見を反復しているに過ぎない。彼らは中國人の立場を理解しておらず、香港地區(qū)の情勢についても見誤っており、中國人の決意と反応も過小評価している。
2)シルバー氏はNBAを代表し、機関を代表して発言し、彼の発言はすでに個人の発言ではない。そのため彼に対してレベルを上げた対応をすることは道理に適っていると言える。
3)中米摩擦という局面の中で、NBAは米國の政治的な正當性という環(huán)境の影響を受けていることは疑うべくもない。彼らはまず第一に米國社會に受け入れられることを考え、米國のイメージを擁護することを考えなければならない。
4)シルバー氏はビジネス機関のリーダーとして、最悪ともいえる弁明コメントを選んだ。それは中國との関係を保つことができなかったばかりでなく、米國の政治環(huán)境におけるバランスの取れたポイントを見出すこともできなかった。その行為によってNBAは米國において新たなファン獲得ができないばかりか、それによりNBAの中國市場に損害を與えただけだった。
5)以前述べたように、シルバー氏の言動は表現(xiàn)の自由の擁護とは一切関係のないものだ。これは國や社會を越えた互いに対する尊重という問題だからだ。NBAと中國とはビジネス関係にあり、中國がNBAの商品とサービスを購入している以上、必要と思われる行動をとることは當然の権利だ。これは表現(xiàn)の自由を支持するとか、制限するといったこととは何の関係もないことだ。
3、中國政府と公式メディアの反応
中國が示した反応は極めて強烈だった。多くの人がこの點について激しい議論を戦わせている。ここでは私の個人的な見解を幾つかを紹介しよう。
中國のやり方は実のところ、全世界に向けて中國の政治においてタブーである香港地區(qū)及びその主権問題、領(lǐng)土問題については一切認めないということを明らかにしたまでだ。実のところ、中國人にとってのタブーはそれほど多くはなく、主に主権と領(lǐng)土、歴史問題に集中している。外國人は中國でビジネスをしていく上で、中國のこれらのタブーを理解し、尊重するべきだ。実際、NBAを除く中國でビジネスをしているほとんどの企業(yè)はいずれもその利害関係をはっきり理解しており、正しい選択をしている。
NBAもその本質(zhì)はビジネス機関であり、スポーツを通じて利益を獲得し、中國とビジネスをしており、中國人の金で利益を得ている?,F(xiàn)在、他の企業(yè)が聲をあげない中、NBAが突然聲をあげている。まさかNBAは米國や全世界のあらゆる企業(yè)よりもより「良心」に満ちているというのだろうか?そしてより時局を理解し、より度胸があるということなのだろうか?それは違うだろう。NBAは無知であるにすぎず、無知であるがため、これらの表現(xiàn)の自由や政治的な正當性、國を越えた利益といった概念の線引きをはっきりとは把握していないだけなのだ。
ビジネスの観點から見て、NBAが中國市場を重視しているのならば、中國が根本的な是非に関わるとみなしている問題について敏感に対応し、譲歩し、中國人の捉え方を尊重すべきだ。そしてその主導権はNBA自身にある。
最後に、外交部(?。─螌潖辘渲袊醒毳匹欹泳?CCTV)の中継取りやめといったようなやり方は単刀直入な制裁方法であるということを指摘しておく必要があるだろう。これらの方法は外國企業(yè)や機関に中國のタブーを一定の度合いで知らしめることができるが、彼らに中國にはなぜこうしたタブーがあるのか、そしてその背後にある理論とは何なのかを理解する手助けにはならない。現(xiàn)在の対外的な世論の中で、中國がこれらの問題を米國人に事細かに説明し、米國人の理解と尊重を得ることは極めて難しいと言わざるを得ない。そのため、現(xiàn)時點においてはこうした荒っぽい方法での解決を選択せざるを得なくなっている。
結(jié)論として以下の5點をまとめた。
1)我々が言うところの表現(xiàn)の自由及びその限度はいずれも公権力を制限し、社會的弱者を守るためのものであり、社會維持の運営と関係しており、ある一定の政治體制の中でこれらの概念を理解する必要がある。
2)我々は政治的に正當か正當ではないかという點をもっと広い概念でとらえており、異なる國や社會、文化において、その範疇は異なり、また差があると考えている。英國の政治的な正當性(及び正當でないこと)で米國を理解してはならず、米國の政治的な正當性(及び正當でないこと)で中國を理解してはならない。
3)國や社會、文化の枠を超えて、國際交流の範疇に足を踏み入れた場合、その基準も異なり、表現(xiàn)の自由の範疇ではなくなる。A國政府が自國の國民にA國のある事件についての言論を制限することは、A國が自國の國民の表現(xiàn)の自由を制限することであり、A國政府または國民が、B國政府またはその國民によるA國のある事件に対する評価に対して抗議し、相応の報復措置や制裁を加えることは表現(xiàn)の自由の範疇には屬さない上、A國とB國の2ヶ國関係(外交関係と國民の関係を含む)の問題であると言える。
4)中國人が主権の統(tǒng)一と領(lǐng)土の完全性を最も根本的な政治と言論タブーとすることに問題はない。これは中國の近現(xiàn)代の歴史と価値観が決定したものだからだ。この方向性には何ら問題はない。それは米テキサス州が銃規(guī)制に反対することが大いなる政治的正當性なのと同様だ。
5)中國は米國のタブーを尊重しているように、米國もまた中國のタブーを尊重すべきだ。それぞれのタブーはいずれも歴史が生み出したものであり、互いに理解し、尊重することを心掛けるべきだろう。(編集TG、AK)
「人民網(wǎng)日本語版」2019年10月10日