フランスのファッションブランドのディオールがこのほど注目の的となった。その原因は、上海でのショー「ディオールと蕓術(shù)」で使用した寫真作品が、アジア系女性を醜く描いていると指摘されたことだ。報道によれば、この作品中の人物は、暗く兇悪な目つき、くすんだ顔色、どんよりしたアイシャドーで、清朝風(fēng)のネイルアクセサリーをつけている。多くのネットユーザーから、「不快な感じがする。西側(cè)のアジア人に対するステレオタイプな見方に迎合している」との聲が上がった。
「これは美しいの?醜くしていない?」。ネットユーザーのこのコメントが代表的なもので、大勢の人の心の聲を代弁している。大騒動を巻き起こしたこの寫真を前にして、撮影した中國のファッション寫真家の陳漫氏はどのように構(gòu)想していたのだろうか。ディオールがこんな寫真をわざわざ展示する意義は何だろうか。
ディオールが意識的にこの寫真を使ったのか無意識なのかはわからないが、このような寫真は到底人々には受け入れられないものだ。ネットユーザーを神経質(zhì)だととがめるわけにはいかない。ましてや彼らの繊細(xì)な心を責(zé)めたり、何でも自分たちに當(dāng)てはめて考えるなと批判したりしてはならない。この時代を生きる多數(shù)の人は、ディオールのこのようなやり方を理解できないだろう。このような寫真はひどく現(xiàn)実離れしたもので、自信を持ち、優(yōu)雅でおっとりしているアジア女性の真の姿にはほど遠(yuǎn)い。
これはアートだという人もいれば、「美に対する基準(zhǔn)は千差萬別」と弁解する人もいる。しかし蕓術(shù)はニッチなものであっても構(gòu)わないが、人の道を外してはならない。
ネットユーザーによると、陳氏はディオールのために「中國十二色」という組み寫真を撮影しており、これが今回の問題の寫真に類似しているという。陳氏の創(chuàng)作の自由は保障されるべきだが、彼女は西洋の美的感覚に迎合した蕓術(shù)イメージばかり生み出しており、ほめる気にならない。一方で、現(xiàn)実には多くの蕓術(shù)家が、意識的に、または無意識に西洋を美の基準(zhǔn)とし、西洋風(fēng)を尊んでいることは確かで、これが妥當(dāng)なことではないのは明らかだ。
今日の中國は活力と希望に満ち、中國人の顔には大國の風(fēng)格と尊厳があふれている。新時代の蕓術(shù)家としては、カメラを用いて豊かな中國の真実を記録する責(zé)任があり、生き生きした中國のストーリーを語り伝える責(zé)任があり、健全で向上する中國人のイメージを表現(xiàn)する責(zé)任があり、決してその逆ではない。
ディオールと「陳漫たち」は數(shù)えきれないほどのネットユーザーからの激しい反応を通して自身の不適切な振る舞いを見つめるべきであり、自分たちの行動を見直すべきだ。しかし現(xiàn)時點で、ディオールはこの件に関するいかなるコメントも発表していない。影響力を持つ多國籍企業(yè)として、ディオールは世論の疑問に答え、人々に説明する責(zé)任がある。(編集KS)
「人民網(wǎng)日本語版」2021年11月19日