米國の首都ワシントンで現(xiàn)地時(shí)間6日午後、暴力的なデモが発生した。バイデン氏の勝利を認(rèn)めぬよう議會(huì)を脅迫するため、トランプ大統(tǒng)領(lǐng)の支持者が議事堂を突破し、上下両院は合同會(huì)議の中斷を余儀なくされた。デモ參加者が議會(huì)に突入する際の警察側(cè)の発砲で女性1人が死亡し、少なくとも5人が病院に搬送された。(文:江寧。人民網(wǎng)掲載)
AP通信によると、警察側(cè)に射殺されたこの女性以外にも、トランプ大統(tǒng)領(lǐng)の支持者3人が醫(yī)療的な緊急狀態(tài)のために死亡した。新型コロナウイルス感染癥によって、西側(cè)が得々として語ってきた民主?自由?人権という価値観は未曾有の試練に直面している。人々の前でベールが1枚1枚現(xiàn)実によって剝がされ、多くの自己矛盾やダブルスタンダードが露になってきているかのようだ。
民主とは手段と目的のどちらなのか、それともその両方なのだろうか。民主とは公平さと効率のどちらの問題を解決するものなのか、手続的正義と実質(zhì)的正義のどちらを守るものなのか、それともそれらを両立させるものなのか。民主に関する人類の探求と思考は一貫して続いている。西側(cè)世界の経験を含め、こうした思考や探求は全體として有益なものだ。人類の制度探求の側(cè)面において、歐米の民主制度が相応の歴史的時(shí)期において、その時(shí)代における進(jìn)歩的役割を発揮したのは確かだ。
だが、もしある具體的な民主実現(xiàn)形式、例えば西側(cè)の民主制度をもって、こうした探求思考に終止符を打ち、意気盛んに「歴史の終わり」を認(rèn)定しようとするのなら、民主の「揺り戻し」に遭うのは必至と言えるだろう。
経済力によって支えられた民主の自負(fù)、及び世界的拡張の衝動(dòng)に後押しされた利益的計(jì)算が、歐米を思い上がらせたのは明らかだ。彼らは橫暴にも自らの民主の旗を世界中に立てようとし、そのためには武力の行使も辭さない。
問題は、西側(cè)世界が人類社會(huì)の発展における自らの重みと力を過大評価していることにある。人類社會(huì)全體の長い歴史を前に、彼らは畏敬の念を抱き、自らの探求が人類社會(huì)の全てに対処するには足りないこと、自らが人類社會(huì)の全ての理想的姿を描くことはできないことを理解するべきだ。歐米の民主の探求と実踐は、人類の制度探求の地方的記述、局部的概括、段階的総括により近いのであり、世界の全てを取り仕切り、世界中に適用できるわけではない。この點(diǎn)は証明する実踐が増え続けているのであり、歐米自らが真剣に解答すべき問題でもある。
米國は自らを國際社會(huì)の「議長」と見なしており、他國は唯々諾々と命令に従うしかないらしい。だが、公平さと正義の実踐の基礎(chǔ)を欠くために、米國の獨(dú)り善がりの道義感はますます安定した居場所を失いつつある。
歐米が「民主」を世界に広めようと力を入れる悪い結(jié)果が、すでに各國で顕在化するのを我々は目にしている。今や現(xiàn)実の反作用が歐米に警告を発している。米議事堂の銃聲は、「民主」に逆にかみつかれるという苦々しい果実を、最終的にはやはり創(chuàng)始者自身が咀嚼し、吞み込まなければならないことを物語っている。(編集NA)
「人民網(wǎng)日本語版」2021年1月8日