上海ファッションウィークで、義足のモデル?牛鈺(24)さんがランウェイを歩いた。機(jī)械の一部のような鉄の細(xì)い足で歩いた時間はわずか1分ほど。多くの観客はあまりに突然のことで反応できず、カメラを向けた時はすでに彼女の後姿しか見えなかったという人も多かった。しかし、その1分には、運(yùn)命に屈することなく、伸び伸びと生きてきた彼女の長い24年間が詰まっていたとも言える。
牛さんは、「春游哥哥」というハンドルネームで、ショート動畫共有アプリ「抖音(TikTok)」のアカウントを開設(shè)しており、フォロワー85萬人を抱えている。そんな彼女は、11歳の時に、四川大地震で右足を失い、以前は「ランウェイとは全く縁がない」と思っていたという。
1997年生まれの牛さんの本職はショート動畫の腳色演出家、寫真家で、アルバイトで服のブランドのモデルの仕事することもあるという。
今回、上海ファッションウィークのランウェイを歩くよう服飾ブランドからオファーが來た時は、驚き、緊張したという。
ランウェイを歩いたことについて、牛さんは、「やっぱり、他のモデルには敵わない。義足なので、スポーツシューズなど、履き心地の良い靴しか履けないから。でも、それは小さな事で、1分間はなんとか持ちこたえた。どんなに難しいことでも、乗り越えられる。でも、心理的なハードルを越えるのは難しく、勇気を振り絞ってやっと歩くことができた。本當(dāng)のファッションショーを初めて體験し、私にとっては大きな一歩となった」と振り返る。
四川大地震の被災(zāi)者
3日間崩れた學(xué)校の下敷きに
牛さんは寫真家で、モデルのアルバイトをする時もあるため、撮影される人の気持ちや狀態(tài)も分かる。これまでに、服飾ブランドからモデルのオファーを何度か受けたことがあるが、義足なので、ゆったりとしたデザインの服である必要があり、これまでにパンク系の服のモデルをしたこともあるという。
「今回モデルとなったのはスポーツ系のブランドで、スタッフから、『義足とスポーツは全く異なる概念でつながりはないけど、スポーツに対する情熱の妨げにはならない』と言われて、とても感動した。確かに、片足を失って走ったり、飛び回ったりすることはできなくなったけど、卓球や水泳はでき、スポーツの楽しさを味わうことができる」と牛さん。
牛さんは2008年の四川大地震で右足を失った。當(dāng)時、11歳だった彼女は、北川チャン族自治県の曲山小學(xué)校でがれきの下敷きになり、地震発生から3日後になってやっと救出された。
地震発生から丸10年経った2018年5月12日、彼女は汶川マラソン大會に參加した。そして、最後の數(shù)キロで、足の感覚がなくなり、もうダメだと感じた時に、「中國がんばれ!汶川がんばれ!」という周りの応援する聲が聞こえ、力を取り戻して、ゴールまでたどり著いたという。小學(xué)生の時、牛さんは陸上選手だったものの、義足になってからはずっとマラソンをすることはなかった。2018年に初めてマラソン大會に參加したのは、「もう一度、自分に挑戦するため」だったという。
(寫真ソース?ネット畫像より)
マラソンの舞臺で「復(fù)活」を果たした彼女は、「ショート動畫ブロガー」というもう一つの舞臺にも立つようになった?!袱长魏文辘鈵郅税蓼欷朴盲皮俊N⒘Δ扦ⅳ毪猡韦?、私も何かしたい。街中で身體障がい者を見ることは少ないかもしれないが、公式統(tǒng)計では、2020年の時點(diǎn)で中國には8500萬人の身體障がい者がいる。そうした人々のために何かできることをしたいと思い、ショート動畫のアカウントを開設(shè)した」と牛さん。(編集KN)
「人民網(wǎng)日本語版」2021年10月22日