心に殘った青年海外協(xié)力隊員 小川暁子さん
カイルアン?リハビリ病院 亢美俠カイルアン?リハビリ病院 |
「小川さんがもうすぐ帰國する」----。この話題が出るたびに、私の心には別れの悲しさがこみ上げ、もっと長く接していたかったという思いで胸がいっぱいになる。わずか半年間だったが、小川さんは私の心の中に消えることのない印象を殘した。
JICAボランティア?青年海外協(xié)力隊の隊員、小川暁子さんは2010年6月25日、理學(xué)療法の指導(dǎo)を行うため、2年間の予定でカイルアン?リハビリテーション病院に著任した。私は翌年11月9日、理學(xué)療法士(PT:フィジカル?セラピスト)として勤務(wù)を始めたことで、小川さんと知り合った。
小川さんはとても誠実な女性だった。器量の良い顔立ちだが、少しも飾り気がなく、服裝も質(zhì)素。少しおおざっぱなところもあるが、やさしさも持ち合わせていた。本音をはっきり言う話しぶりに、しとやかで慎ましいという日本人女性に対するイメージは完全に覆されたが、日本人らしい禮儀正しさが時折垣間見えた。とても流暢な中國語を話し、中國文化に対する理解も深い。
小川さんの病院での業(yè)務(wù)には全く報酬が出ず、JICAから2千元(約2萬6千円)が生活費(fèi)として支給されるだけだ。食事も自分でまかなわなければならず、生活は決して楽ではなかった。「青年海外協(xié)力隊への応募のきっかけは良いことをしたい、人を助けたかったから」と話すのを聞いて、私は尊敬の念を覚えた。
最も敬服したのは、仕事に対するプロ意識だ。私たちへの講義や患者さんへリハビリを行う際にも、それは満ちあふれていた。小川さんは大學(xué)で理學(xué)療法を?qū)煿イ?、日本で?shù)年間の業(yè)務(wù)経験がある。先進(jìn)國である日本はリハビリが導(dǎo)入されたのも早く、小川さんの理論や手法も當(dāng)然、私たちよりずっと進(jìn)んでいた。全筋肉の運(yùn)動や神経系統(tǒng)を熟知しており、さまざまなけがを負(fù)った患者さんの歩く姿を真似て、患者さんが抱える問題を的確に指摘した。なによりも自分のノウハウを惜しげなく私たちに教えてくれた。
講義の際に小川さんは、私たちが理解できないことを最も心配していた。細(xì)かい個所まで、できる限り詳しく説明し、リハビリ手法については、手取り足取り教えてくれた。私たちの顔に少しでも疑問の色が浮かんでいると、根気強(qiáng)く説明を繰り返し、分かるまであきらめなかった。翌日に前日の講義內(nèi)容を私たちに質(zhì)問することさえあった。私がある日、縫工筋について質(zhì)問すると、具體的にはよく知らないといい、その時はごく簡単な説明だけだったが、なんと翌日、分厚い本2冊を抱えて詳しく説明してくれた。実に真面目な人だった。
小川さんは常日頃から地方に視察に出かけ、病院に戻るとすぐにレポートをまとめ、私たちに講義を聴くよう求め、國內(nèi)各地のリハビリテーションの現(xiàn)狀を語った。自らリハビリを買って出ることも日常茶飯事だった。大きなノートに、患者さん一人ひとりの具體的癥狀をメモしていた?;颊撙丹螭藲i行訓(xùn)練をする際、彼女は自然にひざまずき、患者さんの腳を支え、辛抱強(qiáng)く的確な腳の運(yùn)び方を教えた。筋肉群の伸縮運(yùn)動を行う際は、患者さんの腳を肩で支えながら行った。全てがとても自然で、床が汚れていようと、患者さんに異臭があろうと、全く意に介することはない。小川さんの言動は、私たち中國人スタッフ一人ひとりの胸に響いた。
小川さんは仕事だけでなく、遊びにも熱心な人だった。毎朝早朝に體を鍛え、中國の太極拳を?qū)Wび、驚くべき上達(dá)をみせ、太極拳の先生と厚い友情を築いた。祝祭日に彼女は各地を旅行し、2年間で中國の大半を巡り、先月には河北呉橋雑技蕓術(shù)學(xué)校を訪れ、雑技を観たという。「中國がとても好き」とうれしそうだった。
6月27日、小川さんは帰國する。小川さんの2年間の支援で、私たちの病院は様変わりした。病院全體のリハビリ水準(zhǔn)が上がり、訪れる患者さんも増え、何より唐山地區(qū)での知名度がぐんと高まった。「リハビリを唐山に普及させたい」という小川さんの願いが徐々に実現(xiàn)しつつある。小川さんの貢獻(xiàn)に心からの感謝を伝えたい。
「多情 古(いにし)へ自(よ)り離別を傷む」(情愛の深い人は昔から離別に心を痛める)。さようなら小川さん。名殘惜しいけれど……。海の向こう側(cè)から小川さんにエールを送りたい?!袱浃丹筏皮铯いば〈à丹?、これからも幸せで楽しい日々を送って下さい」(編集HT)
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「人民網(wǎng)日本語版」2012年9月26日