昭和最強の囲碁棋士、呉清源(ご?せいげん)さんが11月30日午前1時11分、老衰のため神奈川県小田原市內(nèi)の病院で亡くなった。100歳だった。人民網(wǎng)が報じた。
呉さんの弟子?芮乃偉(ぜい?だいい)九段は取材に対して、「あまりに突然で本當(dāng)に悲しい。私も昨日の夜知った。呉?guī)熃长厦撙盲郡蓼薨菠椁送訾胜椁欷?。冥福を祈っている。本?dāng)にさみしい」と悲しみに暮れた。
そして、「私の棋士としての生涯の後半は呉?guī)熃长韦?。呉?guī)熃长饯颉⒆苑证瘟Δ扦系降走_することのできない高みに引き上げてくださった。人格の面でも、囲碁、命に対する姿勢などの面でも、私は呉?guī)熃长斡绊懁虼螭埭堡俊工?、呉さんと出會えて幸運だったことを語った。
中國を代表する棋士?聶衛(wèi)平(じょう?えいへい)さんも、取材に対して「とても悲しい。一昨年のこの時期にも、棋士の陳祖德(ちん?そとく)さんが亡くなり、今年もまた呉さんが亡くなった。囲碁界は貴重な人材を失った。本當(dāng)に心が痛む」と悲しみを表した。
そして、「呉さんは囲碁界に、言葉では到底表すことのできない大きな貢獻をされた。とても溫厚で、親切な方。これまでに、呉さんのことを悪く言う人に會ったことがない。1980年代に、『囲碁の世界で大きく成長したいなら、日本に來て學(xué)ばなければならない。日本に來て私の家に住めばいい。遅かれ速かれ我々は切磋琢磨しなければならない』と言ってくださった。日本の囲碁界で、呉さんのように無私の思いを示す棋士は他にいない」とし、「呉さんは一生涯囲碁に打ち込み、他の棋士にもそれを求めた。ある時、私が日本で、瀋君山とコントラクトブリッジについて話しをしていた時、隣におられた呉さんが『二兎追うものは一兎も得ず』と真剣な顔付きで言ってくださった。その言葉には目からうろこの思いで、大きな影響を受けた」と語った。(編集KN)
「人民網(wǎng)日本語版」2014年12月2日
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