「抗日戦爭(zhēng)到底革命成功」と刺繍されたハンカチには、女性たちの勝利への信念と期待が込められ、「鉄血救國(guó)抗日戦爭(zhēng)到底」や「打倒日本抗日戦爭(zhēng)到底」と書かれた陶器は當(dāng)時(shí)の職人の戦爭(zhēng)勝利への決意が反映され、「打倒日本」と椅子の背もたれに掘り込まれた四文字から、人々の侵略者に対する憎悪の念までが感じられる。また、日本軍の日記や戦爭(zhēng)文化財(cái)、寫真、メディアの報(bào)道などを紹介した資料は、日本軍國(guó)主義が発動(dòng)したこの侵略戦爭(zhēng)の殘忍さや非人道的な側(cè)面を十分に訴えている。
日本の若者に語り継がれなくなった侵略戦爭(zhēng)
建川博物館集落に建てられた博物館のうち、2つは外國(guó)人によって設(shè)計(jì)された。1つは米國(guó)人が設(shè)計(jì)したもので、もう1つは日本の著名な建築家、磯崎新氏が設(shè)計(jì)したものだ。
磯崎氏が設(shè)計(jì)した「日本中國(guó)侵略犯罪行為館」は日本の侵略者が「自らその罪を証明する」場(chǎng)となっており、約1萬點(diǎn)にのぼる侵略物証や400枚余りの寫真、10點(diǎn)の國(guó)家一級(jí)文化財(cái)が1931年から1945年の侵略の犯罪行為を証明している。
この展示館の設(shè)計(jì)のために、磯崎氏は6回にわたり成都を訪れその心血を注いだ。樊館長(zhǎng)の目には、磯崎氏は中日両國(guó)民に苦痛をもたらしたあの歴史をはっきりと認(rèn)識(shí)する知識(shí)人の代表として映っている。
1919年生まれの小林寛澄氏は侵略戦爭(zhēng)に參戦した人物だが、俘虜となってから反戦同盟の八路軍兵となり、帰國(guó)後対中友好の人となって各地で日本の侵略戦爭(zhēng)の真相を語った人物だ。館內(nèi)には小林寛澄の題字と手帳が陳列されていた。20回にわたり訪中して侵略戦爭(zhēng)を謝罪した老兵の塩谷保芳氏も、かつて使用した軍服やかばん、ラッパなどを寄贈(zèng)しており、戦爭(zhēng)の記憶を人々に喚起している。樊館長(zhǎng)の元にはあの戦爭(zhēng)に正しい認(rèn)識(shí)をもつこうした人々によって、日本國(guó)內(nèi)各地から侵略戦爭(zhēng)の文化財(cái)が集まり、博物館の完成を様々な面から支えているのだ。
樊館長(zhǎng)は多くの日本人と交流をもつ中で、直接的あるいは間接的にあの戦爭(zhēng)を経験した日本人は、侵略戦爭(zhēng)に対して全面的な認(rèn)識(shí)をもち、中國(guó)國(guó)民に與えた苦痛を反省している人が多いものの、若者に関しては、全面的で正しい認(rèn)識(shí)をもっている人は非常に少ないと語る。戦爭(zhēng)への認(rèn)識(shí)が受け継がれていないのだ。
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