父?筒井重雄さんの寫真を見せる筒井健史さん
それから1949年10月の新中國成立までの3年あまり、木暮さんを含む日本人の教官は120人のパイロットを育成し、さらに14人の女性パイロットも育成した。彼らは中國空軍部隊の中堅となった。開國大典の軍事パレードで、観閲を受けた空軍編隊のパイロットの約半數(shù)が、木暮さんの學(xué)生だった。息子?筒井健史さんは「父は、中國のために優(yōu)秀な空軍パイロットを育成したことを最大の誇りと思っていた」と語る。
1958年、木暮さんは中國で出會った妻?美治さんと息子?娘をつれて、祖國へと戻った。自衛(wèi)隊への入隊を斷った木暮さんは、極右勢力からのしつこい嫌がらせを受け、仕方なく妻の実家である長野県に移り、名字を木暮から筒井に改名し、果樹栽培を始めた。
生活は質(zhì)素で、政治的なプレッシャーは大きかったが、筒井さんは中日友好の活動に積極的に取り組んだ。1986年5月30日、時の中國人民解放軍空軍司令員?王海氏の招きを受け、筒井さんは中國の舊東北航空學(xué)校創(chuàng)設(shè)40周年式典に出席した。
2005年、筒井さんは在中國日本人反戦同盟元兵士の訪中団の一員として、中國人民抗日戦爭?世界反ファシズム戦爭勝利60周年記念活動に參加した。帰國前、空港に向かうバスで、筒井さんは胸につけた中國人民抗日戦爭勝利60周年記念章を感慨深げに眺めていた。筒井さんは帰國後、この記念章をスーツにつけ、その後も重要なイベントには必ずこのスーツで出席した。
筒井健史さんは、「八路軍に參加したことは、父の人生において最も重要で、最も誇りに思う出來事」と語る。
9月3日、筒井健史さんは北京を訪問し、中國人民抗日戦爭?世界反ファシズム戦爭勝利70周年記念活動に參加した。筒井健史さんは「中國人民解放軍の空軍のパフォーマンスが見られてとても嬉しい。中國空軍の発展を喜ばしく思う。父が生きていれば、感動して涙を流すに違いない」と語った。(編集SN)
「人民網(wǎng)日本語版」2015年10月9日
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