中國殘留孤児らによる「中國帰國者 戦後70周年記念公演會」が8月26日、埼玉県で開催され、800人あまりの日本市民が訪れた。その約半數(shù)は日本各地から駆けつけた殘留孤児とその家族だ。殘留孤児は日本の敗戦後、実の父母と生別または死別し、中國の養(yǎng)父母に引き取られた。彼らは中國の養(yǎng)父母に大きな恩を感じ、中國を第二の故郷と考えている。
▽日本政府は殘留孤児に一度も謝罪を行っていない
公演會は2部からなり、第1部は寫真、映像、芝居などの形で殘留孤児のあゆみを紹介。第2部は殘留孤児および家族による舞臺だった。朗読劇「孤児の涙」、舞踏劇「中國のお母さん」、合唱「私の故郷」などが行われ、心のこもった熱演に、観衆(zhòng)は心を打たれた。
第二次世界大戦時、日本の開拓団は逃避行を続ける途中で、産著姿の乳児を道路に置き去りにしていった。赤ん坊の泣き聲に気づいたある中國人女性は、聲を頼りに居場所を探し、雪の中で、寒さに顔を真っ赤にした赤ん坊を発見した。その女性はいとおしむように赤ん坊を抱き上げ、「さあ、家に帰ろう!私たちの家に、、、」と語りかけた--。これは朗読劇「孤児の涙」の一幕だ。この場面に、多くの観衆(zhòng)が涙を流した。
「孤児の涙」の腳本家の一人、中國帰國者?日中友好の會の宮崎慶文副理事長は「今年1月から腳本執(zhí)筆に取り掛かり、5月から練習(xí)を始めた。孤児たちは真剣にリハーサルを重ねてきた。物語をより上手く表現(xiàn)し、より良い舞臺効果を出すために、プロの指導(dǎo)も受けた。この劇が日本の人々に共感されることを望む。過去の戦爭を忘れてはならないということを訴えたい」と語った。
宮崎氏によると、「孤児の涙」の上演は、日本政府に戦爭責(zé)任を訴える目的もあるという。殘留孤児の経験した悲しみと苦難は全て侵略戦爭によるものだ。日本政府は戦後70年間、數(shù)十年にわたって中國に置き去りにされた孤児に一度も謝罪を行っていない。日本政府は戦爭法案を強(qiáng)制採決し、日本は再び戦爭の岐路に立たされた?!袱长蝿·蛲à袱?、人々に殘留孤児の悲慘な體験を覚えてもらいたい。戦爭の悲劇が二度と起こらないことを祈る」と宮崎氏は語る。
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