養(yǎng)母の寫真を見せる鈴木靜子さん
埼玉県所沢市民文化センターで今月26日、中國殘留孤児?婦人の歴史と今を伝えるイベント「中國帰國者 戦後70周年記念公演會」が開催される。その第二部では、中國殘留孤児自ら制作し、出演する舞踴劇「孤児の涙」が披露される。同舞臺劇は、日本が敗戦し、中國東北部住んでいた開拓団らが、逃避行し、その混亂の中で遺棄され、中國人に引き取られた子供達の物語を描いている。その中で、逃避行する人を演じる鈴木靜子さんは、主役でもないその役を、喜んで演じている。
1946年、まだ2歳だった鈴木さんは、黒竜江省牡丹江の日本人収容所から、當時14歳だった沙秀蕓さんを通して、姉の沙秀清さんに引き取られた。その少し前、生まれた間もない沙さんの娘は、腸チフスを患い、日本人が街を封鎖しており、すぐに治療が受けられなかったため、そのまま死亡していた。それでも、やせ細り、高熱を出している鈴木さんを見た沙秀清さんは、日本人に対する恨みも忘れ、「彼女は敵の娘だったが、子供。引き取らなければ死んでいた」と語る。
鈴木さんは、洪靜茹と名付けられ、沙さんは家族會議を開いて、養(yǎng)子にすることを宣言した。そして、差別を受けることがないよう、同省哈爾浜(ハルビン)市に引っ越した。
1985年、中國外交當局は、既に結婚して母親になっていた鈴木さんに、殘留孤児は日本に帰國できることを告げた。家族で何度も話し合った結果、鈴木さんは帰國を決定。同意書にサインした。鈴木さんは、中國に対する恩を忘れないことを示すため、中國名の洪靜茹の中から、「靜」の文字を取った日本名にした。
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