2012年7月29日、在日中國大使館で開催された、中國人民解放軍設(shè)立85周年を祝うパーティーで、「中國人民解放軍軍歌」を歌う筒井重雄氏ら。左から右にそれぞれ小林寛澄氏、水野正昭氏、筒井氏、在日中國大使館武官の徐斌少將。 |
「日本人八路軍」として知られる筒井重雄氏が、中國人民の偉大な抗日戦爭勝利の69周年の記念日まであと5日の8月28日、病気で亡くなった。享年94歳だった。同30日午後3時、長野県飯?zhí)锸肖鞘⒋螭试醿xが行われた。在日中國大使館の田培良參事官が來賓として最初に弔辭を読み、筒井氏が中國の抗日戦爭と世界の反ファシズム戦爭に果たした貢獻(xiàn)を振り返った。人民日報が伝えた。
筒井氏は1940年、中國侵略日本軍の南京に駐留する航空部隊に配屬された。1945年1月、飛行機(jī)の故障で不時著した山東省泗水県の河原で八路軍の捕虜となった。その後、學(xué)習(xí)のために日本人労農(nóng)學(xué)校の山東分校に送られた。
筒井氏は、八路軍の根拠地で多くを経験し、観察し、思考し、真剣に勉強(qiáng)し、世界観を根本的に変化させた。中國に対して日本帝國主義が行っていた戦爭が不正義の侵略戦爭であることを知っただけでなく、このような戦爭を永遠(yuǎn)に消滅させ、日中両國の人民が永遠(yuǎn)に友好的でなければならないことも悟った。
筒井氏はまっすぐな人だったので、見つけた真理のためにがんばる覚悟を決め、八路軍に參加し、日本人民解放連盟に加わった。日本の軍隊の內(nèi)部の事情によく通じ、日本軍兵士の思想や心理、生活習(xí)慣をよく知っていた筒井氏は、日本軍兵士の感情、故郷を思う気持ちや厭戦の情に訴えかけ、「皇軍必勝」という日本軍の神話を揺さぶり、日本軍の戦闘の意志をしぼませた。
1945年8月15日、日本が敗北?投降した後、筒井氏は東北部に移動した。1946年9月、筒井氏は中國人民空軍の一員となった。航空學(xué)校は筒井氏を飛行教官に任じた。1946年3月に設(shè)立された「東北民主聯(lián)軍航空學(xué)校」では、1949年10月の中華人民共和國の建國までの3年半余りで、筒井氏ら日本籍の教官は120人のパイロットを育て、さらに14人の女性パイロットも養(yǎng)成した。ここで學(xué)んだパイロットたちは、中國空軍部隊を設(shè)立した際の中堅となった。
このウェブサイトの著作権は人民日報社にあります。
掲載された記事、寫真の無斷転載を禁じます。
Tel:日本(03)3449-8257、080-5077-8156 北京 (010) 6536-8386