1912年4月14日にタイタニック號は初めての航海中に沈沒し、その事故で犠牲者數(shù)1502人、生還者數(shù)705人を出した。その生還者の中に6人の中國人が含まれていたことを知る人は少ない。
その生還者の中國人の子孫は、「ある人が私に、『あなたの父親のことを知っている。彼はタイタニック號に乗っていた』と言ってきた。父親からそんな話を聞いたことがなかったので、私は、その人がどうしてそんなことを知っているのか不思議に思った」と語る。
當(dāng)時、タイタニック號には8人の中國人が乗船し、ボイラー工として働いていた。タイタニック號が氷山に衝突し、沈沒しかけていたとき、彼らはドアを突き破って甲板へと避難した。そのときには多くの救命艇がすでに船を離れており、殘っていた救命艇に乗っていた人たちからも同乗を拒否されてしまった。絶望のどん底の中で、5人の中國人は船の甲板の上に、誰も手をつけようとしない小さなぼろ船を見つけた。そこで、彼らは力を合わせてその小船を海に投げ入れ、自らも海に飛び込んで、水に浸かりながら小船につかまったという。
「幸いなことに、その後6人は通りかかった救命艇に救助された。この救命艇が右舷に殘っていた最後の1艘だった。また、助かったうちの1人は救命ボートに乗ることもできず、浮かんでいた船の殘骸につかまって漂流していたところを発見された」という。
彼らが生還したという知らせが米國と英國に伝わった後、「彼らは多くの卑劣な手段を使って救命艇を奪った」というようなデマが數(shù)々と広められていった。こうしたメディアの報道をうけて、この6人の中國人たちは西洋では悪者として知れ渡ってしまったが、當(dāng)の6人はこのことを知る由もなかった。なぜなら彼らはエリス島に送られたのち、米國に入國することを許されなかったため、彼らは生還した翌日から別の船に乗り、船員生活を続けたためだ。
英國人監(jiān)督アーサー?ジョーンズ氏はドキュメンタリー「The Six」を撮影しており、生還した6人の中國人の子孫をインタビューし、當(dāng)時の歴史を掘り起こし、彼らの汚名を返上しようとしている。(編集YK)
「人民網(wǎng)日本語版」2017年9月11日
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