紀元前214年、中國の南海沿いに「番禺(ばんぐう)」と呼ばれる四角形の都市ができ、現(xiàn)在に至るまで輝かしい発展の歴史を刻み続けてきた。
地の利を得て、商売を得意とするこの都市は急速に成長し、3世紀から海のシルクロードの東洋の発祥地となり、唐(618年-907年)や宋(960年-1279年)の時代には、中國最大の港を持つ都市となった。そして、その港は、明(1368-1644年)、清(1636-1912年)の時代には、中國唯一の対外貿(mào)易を行う港になり、當時は類を見ないほどの繁栄を誇るようになり、世界の航海史上でも唯一2000年近くという長い歴史を持つ港となった。數(shù)千年の時の洗禮を受けて、そこは今では、世界中で知られる國際貿(mào)易センターへと発展し、重要な國家センター都市となっている。
無限の栄光を輝かせ、世界にその名を馳せているその都市の名は「広州」だ。
ビジネスを武器に広州が世界に進出したというなら、「羊城」、「花城」、「美食の都」などの同都市の稱號は、大衆(zhòng)化されたこの都市に、獨特の魅力を賦與し、人々の無限の想像をかきたてている。
「花」は、最も華麗な広州の特徴で、一年中、美しい花を鑑賞することができる。うち、キワタは広州市の市花となっている。
広州は、中國の第一陣の「歴史?文化名城」に指定され、海のシルクロードの発祥地、嶺南文化の中心地、近現(xiàn)代革命の発祥地、改革開放の最前線として、深みのある歴史?文化を蓄積し、文化的個性が非常に鮮明な都市になっている。
広州は輝かしい革命の伝統(tǒng)を持つ英雄都市でもある。近代史では、三元里の民衆(zhòng)が帝國主義の侵略に立ち向かって起こした抗英闘爭(三元里事件)や1911年の孫中山(孫文)を指導者とする封建統(tǒng)治に反対する蜂起「三?二九起義」(辛亥革命)、1927年の中國共産黨が起こした武裝蜂起「広州起義(広州蜂起)」などがある。広州は民主革命の発祥地でもあり、革命闘爭の英雄都市でもあるのだ。
広州の人々はお茶を飲むのがとても好きだ。「おはよう」という代わりに「お茶を飲んだ?」と聞くのが朝の挨拶となっているほどだ。お茶を飲むというのは広州の人々にとっては生活習慣の一つで、「食は広州に在り」と言われる同都市の特色となっている。広州の人々が朝にお茶を飲みながら食べるのが大好きな點心(てんしん)の一つエビ蒸し餃子は、半透明の皮に、新鮮でプリプリのエビが入っており、見ただけでよだれが落ちそうになり、それを食べるとエビの何とも言えないうまみが口の中に広がり、とてもおいしい。また、100年以上の歴史を誇るライスヌードル?沙河粉は省級無形文化遺産に指定されている。
広州は観光資源も豊富で、花城広場、白雲(yún)山、沙灣古鎮(zhèn)、聖心大教堂、嶺南印象園、寶墨園、中山紀念堂、黃埔軍校、海珠湖國家濕地公園などの観光スポットが特に有名だ。また、新■枝灣(■はくさかんむりに森の木が力)も有名な観光スポットで、名所古跡がたくさんあり、「緑色の渓流、両側(cè)に植わるライチの実が赤い」という有名な言葉もある。
2016年、広州の國民総生産(GDP)は、前年比8.2%増の1兆9600億元(約33兆3200億円)に達した。市民一人當たりのGDPは2萬ドル(約224萬円)を超え、地方一般公共予算収入は前年比7.2%増の1393億8000萬元(約2兆3695億円)に達した。このように、経済のクオリティ、費用対効果は顕著に向上し、新たな高みに達している。
現(xiàn)在、広州は國際海運センター、物流センター、貿(mào)易センター、現(xiàn)代金融サービス體系の構(gòu)築を進めている。そして、國際海運ターミナル、國際航空ターミナル、國際テクノロジー?イノベーションターミナルの建設が加速しており、國家イノベーションセンター都市建設戦略が全面的に実施され、2017フォーチュングローバルフォーラムは広州で開催された。この歴史?文化の名城は今、躍動し、フレッシュな輝きを放っている。(編集KN)
「人民網(wǎng)日本語版」2017年11月24日
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