想像を超える発展スピードの中國
76年、齋藤さんは日本のメディア関係者と共に上海を訪問した。その時は、1回目の訪問と比べて、ずいぶん楽だったという。なぜなら中日両國を結(jié)ぶ定期便が72年の中日國交正常化をきっかけに開通したため、東京から直接上海に飛行機(jī)で行くことができたからだ。その後の數(shù)十年間、齋藤さんは仕事の合間を見つけては中國を訪問し、その様子をカメラに収めてきた。
上海の街中のオシャレな青年、バレエスクールの少女、忙しそうに働く民営企業(yè)の従業(yè)員、伝統(tǒng)楽器?二胡を演奏しながら京劇を歌う北京の老人、高層ビルに囲まれた中國の伝統(tǒng)的家屋である四合院など、改革開放の幕が開けた後の中國は、都市の景観から、庶民の生活に至るまで、大きく変化した。
齋藤さんは何も無い荒れ地だった上海?浦東に高層ビルがどんどん建つのをその目で見て、マンションの部屋を買うために押し寄せる人々の様子をカメラに収め、初めて分譲住宅に引っ越して喜ぶ中國の人々を目にした。そして、帰國後、寫真集「上海 '92-'93」と「北京 '95-'96」を刊行し、注目を集めた。
90年代、日本がバブルの崩壊を経験している時、中國は著実に一歩一歩前へと進(jìn)んでいた。中國の発展と変化を目撃してきた齋藤さんは、「中國は経済成長を続け、世界第二位のエコノミーになった。その発展のスピードは私の想像をはるかに超えていた」と話す。
「中國は私の生活の一部」
「40年回顧――中國の寫真展」の開幕式に參加した齋藤さんは、53年前に訪問した北京を再び訪問した。今回?cái)忍伽丹螭媳本─恰⒏邔鹰鹰毪ⅳ羴Kび、以前に撮影したことのある建物の多くがなくなっているのを目にした。
齋藤さんの正式な寫真展が中國で開催されるのは今回が初めてとなる。來場者の多くは口々に、寫真を見て子供の頃の思い出が蘇えったとしていた。文學(xué)評論家の史航氏は以前、微博(ウェイボー)に齋藤さんの寫真をアップし、「これは昔の北京。僕の子供の頃の思い出と一緒だ。市內(nèi)でたくさんの子供たちが、こんなふうに駆け回っていた」と書き込んだことがある。
今回、過去40年の斎藤さんの寫真展を企畫したキュレーターである秦風(fēng)氏は、「齋藤さんの寫真は、中國人が苦難に屈せず奮闘する姿、成功の栄光を捉えており、引き続き前に向かって進(jìn)む勇気を與えてくれる」と評価する。
齋藤さんは取材に対して、この重みある寫真展に関して、「信じられない気持ち。特に何かをテーマにして寫真を撮ってきたわけでなく、自然とこうなった」と話した。
そして、「私にとって中國は、生活の一部」と中國に対する思いを語り、「日本人が私の寫真を通して中國を知り、両國の國民の相互理解が促進(jìn)されることを願っている」とした。(編集KN)
「人民網(wǎng)日本語版」2018年11月13日
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