3回目となる「文化と自然遺産の日」の到來(lái)を前にした8日、北京市の天壇公園の南西角にある元北京園林機(jī)械工場(chǎng)のエリアは移転と立退き、修繕を経て、正式に観光客の受け入れを開(kāi)始した。このエリアはこの70年で初めて観光客に開(kāi)放されたことになり、これにより天壇公園には3.2ヘクタールの新たな遊覧エリアが加わった。人民日?qǐng)?bào)が伝えた。
天壇は明の永楽十八年(1420年)に建てられ、明清両朝の皇帝が天を祀り、五穀豊穣を祈る重要な場(chǎng)所であったとともに、現(xiàn)在まで完全な姿で保存されている最大規(guī)模の祭天建築群でもある。かつて機(jī)械工場(chǎng)だったエリアは天壇世界文化遺産のコアゾーンに含まれており、內(nèi)壇壁や広利門(mén)、輿路など天壇の歴史的遺産の本體を含んでいる。1951年、北京園林機(jī)械工場(chǎng)の前身である園林機(jī)械修理工場(chǎng)がここに設(shè)立された。2007年、北京園林機(jī)械工場(chǎng)は閉鎖し、天壇公園の帰屬となったが、その建物はそのままずっと殘され、オフィスとして使用されていた。北京の中軸線全體の世界遺産申請(qǐng)に合わせて、天壇公園は昨年から園林機(jī)械工場(chǎng)など園內(nèi)のコア観光エリアにおける住民の移転?立退き作業(yè)を完了。そして2018年4月2日には天壇広利門(mén)と南壇壁の修理工事が正式にスタートした。
天壇は壇廟として歴史的に「內(nèi)儀外?!工趣いσ?guī)制があり、內(nèi)壇に植えられている「儀樹(shù)」と呼ばれる木々を植える間隔にも決まりがある。そのため、公園は住民の移転?立ち退き後にできた広大な空き地の緑化を進(jìn)める際、5メートル間隔で一列に常緑針葉樹(shù)のビャクシンを植えることで、周辺の既存の緑地景観との調(diào)和を図り、「蒼璧を以て天を禮する」祭壇の景観と広々とした「郊外の祭祀」の境地を創(chuàng)り上げて、古人が自然を崇め尊び、「天人合一」を追求する理念を體現(xiàn)している。
1998年に天壇が世界遺産申請(qǐng)を行った際の承諾に基づき、2030年までに古い天壇の完全な姿を取り戻す計(jì)畫(huà)となっている。また同時(shí)に、天壇は北京の中軸線に位置する遺産14ヶ所の1つであり、また中軸線上にある世界文化遺産2つのうちの1つでもある。北京市はその文化財(cái)保護(hù)を強(qiáng)化し、天壇が一日も早くその元の姿を取り戻し、その完全性と真正性を?qū)g現(xiàn)することで、中軸線の世界遺産申請(qǐng)をサポートし、北京市の歴史文化における有名都市としての代名詞をより輝かしいものにしていく。(編集TG)
「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2019年6月10日