【はじめに】中國共産黨創(chuàng)立100周年祝賀大會で、習(xí)近平総書記は、黨と人民を代表して、「全黨、全國の各民族の人民の持続的な奮闘を経て、中華の大地で小康社會(ややゆとりのある社會)を全面的に完成させるという1つ目の100年の目標(biāo)を達成し、絶対的貧困の問題は歴史的な解決をみた。今は、社會主義現(xiàn)代化強國を全面的に完成させるという2つ目の100年の奮闘目標(biāo)達成に向けて、意気揚々と邁進している」と厳かに宣言した。
小康社會の完成度は、農(nóng)村を見れば分かるものだ。農(nóng)業(yè)が発展しているか、農(nóng)村が美しいか、農(nóng)民が豊かな生活を送っているかなどは、小康社會の全面的な完成の質(zhì)と社會主義現(xiàn)代化の質(zhì)を左右する要素となる。
人民網(wǎng)日本語版では、「農(nóng)村を訪ねて『小康』を感じよう」をテーマにしたシリーズ記事を掲載し、中國の広大な農(nóng)村で生じている生産や生活における大きな変化、そして人々がしっかりと実感している獲得感と幸福感、安心感を紹介していく。また新時代における美しい農(nóng)村ののどかな風(fēng)景や小康社會を全面的に完成させた農(nóng)村の物語を描き出していく。
福建省竜巖市永定區(qū)初渓村には、客家(ハッカ)が一族で居住する「土樓」といわれる集合住宅が30棟以上あり、そのうちの10棟がユネスコの世界文化遺産に登録されている。ここには毎年、延べ30萬人以上の観光客が訪れ、観光収入は800萬元(1元は約17円)以上に達する。
この小さな村に、なぜ多くの観光客が続々とやって來るのだろう?その3つの秘訣に迫ってみよう。
利用を続けながら保護
初渓村の最も古い土樓「集慶樓」は1419年に建設(shè)された。北京の故宮が建設(shè)された1年前のことで、600年以上雨や風(fēng)に曬されながらも、びくともせずに今まで保存されてきた。
「集慶樓」の外側(cè)は4階建てで、72ヶ所ある階段は互いに繋がり合い、大家族が集団で生活し、大きな家庭、小さな社會を形成している。
「土樓」は住宅であるため、その保護は利用を続けながら保護する方法が採用されている。ここ十?dāng)?shù)年、永定區(qū)は8億元(1元は約17円)以上を投じて、土樓の保護と修繕を行ってきた。もともとここに住んでいた住民はそのままそこに住み、誰も住んでいない土樓は展覧館や民宿にリノベーションされている。
文化研究
初渓村に足を運ぶと、美しい土樓を見學(xué)できるだけでなく、現(xiàn)地が推進する文化研究に參加することもできる。例えば、地元の無形文化遺産が土樓で紹介されており、観光客はそれを體験することができる。
明(1368-1644年)の時代から、初渓村では製紙の伝統(tǒng)が引き継がれており、最盛期は製紙工場が40軒以上あった。以前、紙は手作業(yè)で作られていたものの、今では近代化工場で製造されるようになっている。しかし、無形文化遺産研究プロジェクトでは、その技術(shù)が別の方法で村の経済発展を牽引している。
初渓村だけでなく、永定區(qū)全域で土樓ごとに、それぞれの特徴がある文化観光を打ち出されている。各土樓にそれぞれのテーマがあり、例えば、建築文化を展示した土樓、客家の特徴?家訓(xùn)、結(jié)婚をめぐる風(fēng)習(xí)などを紹介する土樓などがある。
特色ある農(nóng)産品
餅の一種である「糍粑」、里芋で作った生地で具を包んで蒸しあげた「芋子包」、肉詰め豆腐の「客家釀豆腐」、アヒルを塩漬けにしてから茹でて作る「塩水鴨」、タケノコなど、お馴染みの土樓のグルメも、多くの観光客が初渓村を訪れる主な理由の一つだ。グルメは観光客を呼び込むだけでなく、農(nóng)産品加工産業(yè)の発展も後押ししている。
現(xiàn)在、人気の初渓村のご當(dāng)?shù)剌X食が、保存技術(shù)を活用することで、中國全土に販売されている。初渓村が所屬する下洋鎮(zhèn)だけでも農(nóng)産品加工企業(yè)が43社あり、産業(yè)チェーンの年売上高は數(shù)億元に達し、5000人以上の雇用が創(chuàng)出され、村民を豊かにする産業(yè)へと成長している。(編集KN)
「人民網(wǎng)日本語版」2021年8月30日